「村西哲幸」の版間の差分

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|写真のコメント =
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[滋賀県]][[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]][[秦荘町]](現[[愛荘町]])
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1981|8|6}}
|没年月日 =
|ドラフト順位 = ドラフト3位
|初出場 = 2004年6月17日
|最終出場 = 2005年6月10日
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
|選出方法 =
}}
'''村西 哲幸'''(むらにし てつゆき、[[1981年]][[8月6日]] - )は、[[滋賀県]][[愛知郡 (滋賀県)|愛知郡]][[秦荘町]](現[[愛荘町]])出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。
 
== 来歴・人物 ==
[[比叡山中学校・高等学校|比叡山高]]3年時に甲子園に春夏連続出場も共に1回戦敗退(共に優勝校に対して好投している)。[[全国高等学校野球選手権滋賀大会|夏の県大会]]では、33投球回連続無失点、[[近江兄弟社中学校・高等学校|近江兄弟社高]]戦で[[ノーヒットノーラン]]を達成し、19三振を奪った。高校通算40勝8敗。[[1999年]]新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1999年[[ドラフト会議]]で[[横浜ベイスターズ]]から3位指名を受け入団。チームメイトでバッテリーを組んでいた[[細見直樹]]も[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]に4位指名で入団した
 
[[{{by|2003年]]}}に[[オーバースロー]]から[[サイドスロー]]に投法を変更、同時に[[ナックルボール]]を封印。{{by|2004年}}に一軍初登板を果たす。また[[フレシュオースターゲーム]]にも出場し細見とバッテリー封印組んだ<ref>[http://bis.npb.or.jp/scores/freshallstargame/boxscore2004.html 2004年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果]</ref>。二軍にて最多奪三振(102奪三振)を記録している
 
[[{{要出典範囲|{{by|2005年]]}}1月に[[イップス]]になったが[[キャンプ (日本プロ野球)|春季キャンプ]]新監督の[[牛島和彦]]新監督の指導で克服|date=2011年9月}}。しかし、同年も一軍で起用されるが結果は残せなかった。
[[2004年]]に一軍初登板を果たす。また、[[フレッシュオールスターゲーム|フレッシュオールスター]]にも出場、高校の同期の細見とバッテリーを組む。二軍にて最多奪三振賞(102奪三振)を記録している。
 
[[{{by|2006年]]}}シーズン前に[[アンダースロー]]に転向したものの、[[4月4日]]の二軍戦の登板を最後にしばらく試合には出ず、[[5月17日]]に復帰した際にはサイドスローに再転向していた。この年は一軍登板が無く、9月に球団から戦力外通告を受け現役を引退。奇しくも同じ<ref>[http://www.npb.or.jp/players/2006pn_released.html 2006度 自由契約選手]</ref>。引退後は地元滋賀県[[彦根市]]高校時代にバッテリて「彦根ベスボールアカデミー」組んで開講し、塾長として後進の指導に当たってる。また[[細見直樹クラブチーム (社会人野球)|クラブチーム]]も任意引退選の[[近江八幡野球クラブ]]では投手として公示された所属する傍ら、コーチ的な立場としても活動している
[[2005年]]1月に[[イップス]]になったが春季キャンプで[[牛島和彦]]新監督の指導で克服。しかし、同年も一軍で起用されるが結果は残せなかった。
 
[[2006年]]シーズン前に[[アンダースロー]]に転向したものの、[[4月4日]]の二軍戦の登板を最後にしばらく試合には出ず、[[5月17日]]に復帰した際にはサイドスローに再転向していた。この年は一軍登板が無く、9月に球団から戦力外通告を受け現役を引退。奇しくも同じ年に高校時代にバッテリーを組んでいた[[細見直樹]]も任意引退選手として公示された。
 
[[2010年]]秋頃から、地元[[滋賀県]][[彦根市]]にて、「彦根ベースボールアカデミー」を開講し、塾長として後進の指導に当たっている。
 
[[2011年]]に、[[近江八幡野球クラブ]]クラブに入団し現役の投手として活躍する傍ら、コーチ的な立場としても活動している。
 
== プレースタイル ==
比叡山高校時代は、やや[[スリー・クォーター]]気味の[[オーバースロー]]からの最速146km/hの[[速球|ストレート]]や[[スライダー]]、[[ナックルボール]](指を立てて投げる縦スライダーとも言われる)が武器だったが、プロでは肩や肘の故障が多かったためその武器を生かすことができなかった。<br/>プロ3年目の2003年から完全な[[サイドスロー]]に転向した。
 
== 詳細情報 ==
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2005}}
|4||0||0||0||0||0||0||0||--0||----||26||4.2||6||0||4||0||1||0||0||0||7||5||9.64||2.14
|-
!colspan="2"|通算:2年
|6||0||0||0||0||0||0||0||--0||----||38||6.1||11||0||5||0||2||0||0||0||11||6||8.53||2.53
|}
 
=== 記録 ===
* 初登板:2004年6月17日、対[[読売ジャイアンツ]]12回([[横浜スタジアム]])
 
=== 背番号 ===
* '''36''' (2000年 - 2006年)
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
1,739

回編集