「トヨタ自動車」の版間の差分

219.178.137.100 (会話) による ID:38970616 の版を取り消し 
(219.178.137.100 (会話) による ID:38970616 の版を取り消し )
[[1982年]]にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売は合併、現在の''トヨタ自動車''株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・[[豊田章一郎]]が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年の[[トヨタ・ビスタ|ビスタ]]、[[トヨタ・マスターエース|マスターエース]]、[[1984年]]の[[トヨタ・ハイラックスサーフ|ハイラックスサーフ]]、[[トヨタ・MR2|MR2]]、[[1985年]]の[[トヨタ・カリーナED|カリーナED]]、[[1986年]]の[[トヨタ・スープラ|スープラ]]、[[1989年]]の[[トヨタ・セルシオ|セルシオ]]、[[1990年]]の[[トヨタ・エスティマ|エスティマ]]、[[1991年]]の[[トヨタ・ウィンダム|ウィンダム]]など次世代のトヨタを担う車種を投入し、販売高トップの座を不動のものにした。
 
[[1992年]]に章一郎は社長を退き、弟の[[豊田達郎]]が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、[[1995年]]に達郎は高血圧で倒れ、副社長の[[奥田碩]]が社長職を継いだ。奥田は業績が下り坂になりつつあったトヨタを再生させ、[[1999年]]の[[トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ]]発売を機に[[張富士夫]]に社長の座を譲った。[[2003年]][[3月]]末集計における従業員数は65,551人、[[トヨタグループ]]の[[連結子会社]]の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。[[2004年]]にはオートネッツ店とビスタ店が統合され、ネッツ店として再出発した。
 
[[2005年]]にはトヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面[[ガラス]]張りの現代的な建物が完成。8月には[[レクサス|レクサス店]]の日本導入を果たした。同年には[[渡辺捷昭]]社長が就任。10月、[[ゼネラルモータース]]が保有していた[[富士重工業]]株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表。[[2007年]]には[[名古屋駅]]前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設される[[ミッドランドスクエア]]内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、[[JRセントラルタワーズ]]オフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。自動車生産台数が世界一となる。
4,325

回編集