「経済雑誌社」の版間の差分

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== 概要 ==
[[田口卯吉]]は1878年(明治11年)[[大蔵省]]を辞職して、翌1879年、[[渋沢栄一]]らの援助を得て経済雑誌社を設立、[[イギリス]]の『[[エコノミスト]]』誌を範とした『[[東京経済雑誌]]』を創刊した。イギリス[[古典派経済学]]を思想的基盤とした田口は、『東京経済雑誌』において多くの論説を発表、[[自由主義|自由貿易主義]]の立場で論陣を張り、経済評論の第一人者の地位を確立した。[[乗竹孝太郎]]は、会社設立と同時に入社し、『東京経済雑誌』の編集や欧米経済雑誌の翻訳に当たったが、のちに退社した<ref group="注釈">乗竹は、[[1888年]](明治21年)から[[横浜正金銀行]]に勤めている。</ref>。乗竹は[[1905年]](明治38年)の田口の死後、経済雑誌社にもどり、社長をひきついでいる<ref>有山(1994)</ref>。
 
[[徳富蘇峰]]の出世作となった『[[将来之日本]]』も[[1886年]](明治19年)に同社から刊行されたものである。