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ヌッキー (会話 | 投稿記録)
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レッドソックス移籍後は、2001年のワールドシリーズ以来のヤンキース・キラーの役をここでも務める。2004年4月[[NHL]][[ボストン・ブルーインズ]]のプレイオフの試合では、 "ヤンキー・ヘイター" の帽子(刺繍のNYのNの部分がH、つまり'''Y'''ankee '''H'''aterになっている)を被っている姿を見せた。
 
2004年9月16日にシーズン20勝目をげ、1978年の[[デニス・エカーズリー]]以来となるレッドソックス史上5人目の入団1年目での20勝を達成。の年は21勝6敗でシーズンを終えた。サイ・ヤング賞の投票では、[[ヨハン・サンタナ]]([[ミネソタ・ツインズ|ツインズ]])に次ぐ2位に終わる。28の投票数のうち、サンタナはすべての1位票を、シリングは27の2位票を得票した。のちにレッドソックスはチーム全体でSI誌の2004年度スポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞し、シリングは同賞を二度獲得ないし共有した史上2人目の人物となった。
 
同年ディビジョンシリーズ(対[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]])第1戦において、右足首の腱を断裂する負傷を負う。そのままアメリカンリーグ・チャンピオンシップ(対ニューヨーク・ヤンキース)の第1戦で登板するも、痛みのため惨憺たる結果に終わる。球団医療スタッフは、痛めた足首の周囲の皮膚を縫いつけ、断裂した腱が動かないようにする[[応急処置]]を敢行する。当時の報道によれば、この応急処置はこれまで誰もやったことがなく、有効性を確かめるために医療解剖用の死体を使ってリハーサルを行ったという。シリングは同チャンピオンシップ第6戦に先発すると、今度は好投し勝利投手となったが、試合の終盤には応急処置の縫合部分から出血し、靴下が血に染まるまでになっていた。これ以後シリングは、先発前日に足の皮膚を縫い合わせ、登板が終わったら抜糸する、ということを繰り返していた(縫い付けたままでは患部が化膿する恐れがあるため)。<ref>{{Cite web|date=2004-10-20|url=http://www.redorbit.com/news/oddities/95850/cadaver_used_to_help_fix_schillings_ankle/|title=Cadaver used to help fix Schillings ankle|language=英語|accessdate=2008-05-13}}</ref>
 
ALCS第6試合の勝利により、MLBポストシーズン史上初めて0勝3敗からタイに持ち越したレッドソックスは、翌日の試合でヤンキースを打ち破り[[1986年のワールドシリーズ|1986年]]以来のワールドシリーズ出場を果たした。[[セントルイス・カージナルス]]を相手に迎えた同シリーズにおいては第2戦に先発するが、前述の傷めた右足首はまたしてもソックスを血で染める。しかしそれでも7回を投げきり失点1・被安打4に抑え、4つの三振を奪い、勝利を収めた。その後レッドソックスはカージナルスに1勝もさせないまま4連勝で、[[1918年のワールドシリーズ|1918年]]以来86年ぶりとなるワールドシリーズ優勝を達成した。この試合の'''血染めのソックス'''は、ワールドシリーズでボストンがセントルイス相手に4連勝したのち、[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂館]]に展示されることになった。
 
{{by|2005年}}の投球は足首の故障により多大な影響を受けた。[[故障者リスト]]入りの状態でシーズン開幕を迎え、その後復帰したが、再び故障者リストに名を連ねた後は、7月にクローザーとして復帰し、数個のセーブは獲得したが、結局先発に戻って奮闘を続けることになり、9月のヤンキース戦では8回2失点と好投した。レッドソックスは同年プレイオフに進むが、[[シカゴ・ホワイトソックス]]に1勝も出来ず3連敗で敗退。第4試合の先発を予定していたために登板の機会を得ることは無かった。
 
{{by|2006年}}は健康的な状態でシーズンを迎え、傷めた足首もほとんど影を潜めたようであった。開幕後4勝0敗・防御率1.61という数字を残すと、引退が迫ってきたのではという声も退けた。の年は15勝7敗・奪三振198・防御率3.97の成績で終えた。5月27日の[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]戦で通算200勝を達成。メジャー19年目にして歴代104人目、現役(達成当時)では6人目となる偉業を成し遂げた。7月9日、[[USセルラー・フィールド]]におけるシカゴ・でのホワイトソックス戦で400回目の先発出場を達成。8月30日の[[オークランド・アスレチックス]]戦では[[ニック・スウィッシャー]]から通算[[3000奪三振クラブ|3000個目]]の三振を奪い、与四球が1000を数える前に3000奪三振を達した史上3人目の投手となった(他の2人は[[ファーガソン・ジェンキンス]]と[[グレッグ・マダックス]]である)。
 
{{by|2007年}}1月にデニス・アンド・カラハンというラジオ番組の中で、家族との話し合いののちに考えを変えた結果、2007年度のシーズンの閉幕をもって自身の引退とする意思のないことを表明した。しかしシリングは現契約の延長を申し出るも、レッドソックス経営陣は年齢・体調などを理由にシーズンの終わりまで交渉を拒否した。それに対しシリングは、今シーズンの終わりには自身初のフリーエージェントとなるつもりであり、レッドソックスが独占交渉権を持つワールドシリーズ終了後の15日間に同チームとの交渉をするつもりはないとの発言を行った。
 
2007年6月7日の[[オークランド・アスレチックス]]戦では9回2アウトまで無安打に抑えるも、[[シャノン・スチュワート]]に95マイルの速球をライトへ打たれ、ノーヒットノーランをあと一人という所で逃した。その試合の後は2度の先発で結果を残せず、7月20日にボストンへ帰り肩にMRI検査を受け故障者リストに入った。8月6日に復帰した後は9試合に登板し、いずれも6イニング以上を投げた。
 
シーズン終了後初のFAとなったシリングに対し、2年3,000万ドルを提示した球団もあったが<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=39項|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>、1年800万ドルでレッドソックス残留。{{by|2008年}}3月13日、状態の思わしくなかった右肩のリハビリのため、60日間の故障者リスト入りした。シリングは手術を望んだが、チームはまずリハビリをすることを望んだ。復帰はオールスター明けとみられていた<ref>{{Cite web|date=2008-03-13|url=http://www.sportsline.com/mlb/story/10706812|title=Red Sox's Schilling, out until All-Star break, goes on 60-day DL|language=英語|accessdate=2008-03-13}}</ref>。しかし、結局6月に手術を行い、シーズン終盤に復帰するのではと言われたが、1試合も登板することなくシーズンを終えた<ref name="sul200901"/>。