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レッドソックス移籍後は、2001年のワールドシリーズ以来のヤンキース・キラーの役をここでも務める。2004年4月[[NHL]][[ボストン・ブルーインズ]]のプレイオフの試合では、 "ヤンキー・ヘイター" の帽子(刺繍のNYのNの部分がH、つまり'''Y'''ankee '''H'''aterになっている)を被っている姿を見せた。
2004年9月16日にシーズン20勝目を
同年ディビジョンシリーズ(対[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]])第1戦において、右足首の腱を断裂する負傷を負う。そのままアメリカンリーグ・チャンピオンシップ(対ニューヨーク・ヤンキース)の第1戦で登板するも、痛みのため惨憺たる結果に終わる。球団医療スタッフは、痛めた足首の周囲の皮膚を縫いつけ、断裂した腱が動かないようにする[[応急処置]]を敢行する。当時の報道によれば、この応急処置はこれまで誰もやったことがなく、有効性を確かめるために医療解剖用の死体を使ってリハーサルを行ったという。シリングは同チャンピオンシップ第6戦に先発すると、今度は好投し勝利投手となったが、試合の終盤には応急処置の縫合部分から出血し、靴下が血に染まるまでになっていた。
ALCS第6試合の勝利により、MLBポストシーズン史上初めて0勝3敗からタイに持ち越したレッドソックスは、翌日の試合でヤンキースを打ち破り[[1986年のワールドシリーズ|1986年]]以来のワールドシリーズ出場を果たした。[[セントルイス・カージナルス]]を相手に迎えた同シリーズにおいては第2戦に先発するが、前述の傷めた右足首はまたしてもソックスを血で染める。しかしそれでも
{{by|2005年}}の投球は足首の故障により多大な影響を受けた。[[故障者リスト]]入りの状態でシーズン開幕を迎え、その後復帰したが、再び故障者リストに名を連ねた後は、7月にクローザーとして復帰し、数個のセーブは獲得したが、結局先発に戻って奮闘を続けることになり、9月のヤンキース戦では8回2失点と好投した。レッドソックスは同年プレイオフに進むが、[[シカゴ・ホワイトソックス]]に1勝も出来ず3連敗で敗退。第4試合の先発を予定していたために登板の機会を得ることは無かった。
{{by|2006年}}は健康的な状態でシーズンを迎え、傷めた足首もほとんど影を潜めたようであった。開幕後4勝0敗・防御率1.61という数字を残すと、引退が迫ってきたのではという声も退けた。
{{by|2007年}}1月にデニス・アンド・カラハンというラジオ番組の中で、家族との話し合いの
2007年6月7日の
シーズン終了後初のFAとなったシリングに対し、2年3,000万ドルを提示した球団もあったが<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=39項|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>、1年800万ドルでレッドソックス残留。{{by|2008年}}3月13日、状態の思わしくなかった右肩のリハビリのため、60日間の故障者リスト入りした。シリングは手術を望んだが、チームはまずリハビリをすることを望んだ。復帰はオールスター明けとみられていた<ref>{{Cite web|date=2008-03-13|url=http://www.sportsline.com/mlb/story/10706812|title=Red Sox's Schilling, out until All-Star break, goes on 60-day DL|language=英語|accessdate=2008-03-13}}</ref>。しかし、結局6月に手術を行い、シーズン終盤に復帰するのではと言われたが、1試合も登板することなくシーズンを終えた<ref name="sul200901"/>。
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