「牛山純一」の版間の差分

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[[東京都]]出身。小学6年生から旧制中学校卒業まで現在の[[茨城県]][[龍ケ崎市]]で過ごす。
 
茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の[[茨城県立竜ヶ崎第一高等学校]])を経て[[1953年]]、[[早稲田大学]][[第二文学部]]西洋史学専修卒業。[[早稲田大学]]卒業後、開局したての[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]に入社し、[[報道]][[記者]]として活躍。
 
[[1961年]]から、ドキュメント番組「ノンフィクション劇場」を制作。「老人と鷹」で、民放祭(現[[日本民間放送連盟]]賞)金賞。またプロデューサーとして[[大島渚]]の「忘れられた皇軍」(1963年)、[[土本典昭]]の「水俣の子は生きている」(1965年)「市民戦争」(1966年)などを担当する。