「井伊谷宮」の版間の差分

井伊直憲の出願、年訂正、日付など
(位置情報ほか)
(井伊直憲の出願、年訂正、日付など)
所在地=静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1991-1|
位置={{ウィキ座標2段度分秒|34|49|45.26|N|137|40|4.27|E|scale:30000}}|
祭神=一品中務卿宗良親王|
社格=官幣中社・別表神社|
創建=明治5年([[1872年]])|
例祭=[[9月22日]]|}}
 
 
== 概要 ==
[[後醍醐天皇]]の第四皇子である[[宗良親王]]を祀る。鎮座地は、建武中興([[建武の新政]])の際に征東将軍として関東各地を転戦した[[宗良親王が、]]を祀る。鎮座地は元中2年([[1385年]])8月10日に73歳で歿した地と伝えられている(終焉の地については、諸説あり)。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。
 
明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社の創建が企画さ次々に作ら、その中の一社として井伊谷宮の創建が決定したつである宗良親王を輔佐した[[井伊道政]]・[[井伊高顕彦根藩]]の子孫である[[彦根]]・[[井伊直憲]]が井伊谷に宗良親王受けて[[祭る神社創建を出願し、明治]]52年([[18721869年]])2月創建しその手伝いをするよう命じられた。井伊谷は[[井伊氏]]発祥の地で同年6月宗良親王は[[井伊道政]]と[[井伊高顕]]官幣中社に列せ助けられ、この地で死んだと伝えられてい<ref>岡田米夫「神宮・神社創建史」30-31頁。</ref>。
 
翌明治3年([[1870年]])の春に完成した神社は、はじめ井伊谷宗良親王御社といったようだが、明治5年([[1872年]])1月23日に井伊谷宮に改称された。同年2月12日に鎮座祭が[[神祇省]]の役人によって行なわれた。明治6年([[1873年]])6月9日に官幣中社に列せられた<ref>岡田米夫「神宮・神社創建史」31頁。</ref>
 
[[神紋]]の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の家集の題名に因むものである。
*太刀 銘[[粟田口国綱|国綱]]
 
== 関連項目脚注 ==
{{reflist}}
*[[建武の新政]]
 
== 参考文献 ==
*岡田米夫「神宮・神社創建史」、松山能夫・編『明治維新神道百年史』第2巻、神道文化会、1966年。
 
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