「畠山政国」の版間の差分

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{{otheruses|河内畠山氏尾州家の政国|河内畠山氏総州家の政国|畠山政国 (総州家)|二本松畠山氏の政国|畠山政国 (二本松畠山家)|}}
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 畠山 政国
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 死没 = [[天文 (元号)|天文]]19年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]([[1550年]][[9月22日]])?
| 改名 =
| 別名 = 三郎(通称)
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 = 後昌院花園宗貞
| 霊名 =
| 墓所 =
| 主君 =
| 藩 =
| 氏族 = [[畠山氏]]([[|畠山尾州家]]
| 父母 = 父:[[畠山尚順]]、母:不明
| 兄弟 = [[畠山稙長|稙長]]、[[畠山長経|長経]]、'''政国'''、[[畠山晴熙|晴熙]]
| 妻 =
| 特記事項 =
}}
'''畠山 政国'''(はたけやま まさくに、生年不詳 - [[天文 (元号)|天文]]19年([[1550年]]?)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[紀伊国|紀伊]]・[[河内国|河内]]・[[越中国|越中]]の[[守護大名]]、[[戦国大名]]。畠山尾州家の出身。[[畠山尚順]]の子で、[[畠山稙長|稙長]]、[[畠山長経|長経]]の弟、[[畠山晴熙|晴熙]]の兄。[[畠山高政|高政]]、[[畠山政尚|政尚]]、[[畠山昭高|昭高]]の父。通称は三郎。官位は上総介、修理大夫、播磨守、尾張守。後昌院、花園宗貞。[[高屋城]]主
 
==生涯==
兄の稙長が畠山総州家の家臣[[木沢長政]]によって追放され、続いてもう1人の兄である長経が[[暗殺]]されると、長政により当主として擁立され、総州家の[[畠山在氏]]と協調して統治にあたった。しかし政国は在氏と同様傀儡であり、実権は長政や[[遊佐長教]]が握っていた。
 
天文11年([[1542年]])、木沢長政が[[太平寺の戦い]]で戦死すると後ろ盾を失い、重臣によって河内から追放され紀伊で出家した。天文14年([[1545年]])に当主として復帰した稙長が没すると、長教が推す弟の晴熙が当主となり、政国はその後見にあたった。晴熙の引退後は政国の嫡男である高政が当主となっている。
 
天文19年(1550年)に没したといわれているが、天文21年(1552年)の段階で隠居として健在であった記録が存在するため、現在では天文年間末期頃の死没とする見方もある。
 
{{先代次代|[[畠山氏|河内畠山氏 (尾州家)]]当主|畠山政国|[[畠山稙長]]|[[畠山晴熙]]}}
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:はたけやま まさくに}}
[[Category:畠山氏|まさくに]]
[[categoryCategory:守護大名]]
[[Category:戦国大名]]
[[Category:上総介]]
[[Category:1550年没]]