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(井伊直憲の出願、年訂正、日付など) |
(『太政類典』により加筆。これにしたがって旧名を訂正。) |
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例祭=[[9月22日]]|}}
'''井伊谷宮'''(いいのやぐう)は、[[静岡県]][[浜松市]][[北区 (浜松市)|北区]]
[[後醍醐天皇]]の第四皇子で[[
== 概要 ==▼
▲[[後醍醐天皇]]の第四皇子で[[建武の新政]])の際に征東将軍として関東各地を転戦した[[宗良親王]]を祀る。鎮座地は元中2年([[1385年]])8月10日に73歳で歿した地と伝えられている(終焉の地については、諸説あり)。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。
明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社
初め[[近代社格制度|社格]]がなく、[[神官]]を置かず、[[宮内省]][[式部寮]]の役人が祭祀を執行していたが、明治6年([[1873年]])6月9日に白峯宮([[白峯神宮]])、[[鎌倉宮]]とともに官幣中社に列せられた<ref>「[http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/S46B0100560000/087107432865.pdf 自峯宮并鎌倉井伊谷二宮ヲ官幣中社東照宮ヲ別格官幣社ニ列ス]」、『太政類典』第2編(明治4年~明治10年)、第256巻、8。</ref>
=== 年表 ===
*明治2年([[1869年]]) - 宗良親王を祭る神社の創建が決定。
*明治5年([[1872年]])1月23日 - 宗良親王御社を井伊谷宮と称す。
*明治6年([[1873年]])6月9日 - 官幣中社に列した。
* 12月04日 - 竜潭寺塔頭廃寺跡を社地となし、うち600坪を宗良親王の墓地に定めた<ref>「[http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/S46B0100560000/086107432855.pdf 宗良親王御社地御墓地区別ヲ定ム]」、『太政類典』第2編(明治4年~明治10年)、第256巻、6。</ref>。
*明治11年([[1878年]])10月28日 - 静岡県令[[大迫貞清]]が井伊谷宮奉幣使として参向を命じられた<ref>「[http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/S46B0100790000/027507472045.pdf 井伊谷宮ヘ奉幣使参向]」、『太政類典』第3編(明治11年~明治12年)、第56巻、87。</ref>。
== 文化財 ==
== 参考文献 ==
*『[[太政類典]]』、[http://www.digital.archives.go.jp/index.htmli 国立公文書館デジタル・アーカイブ]により2011年9月閲覧。
*岡田米夫「神宮・神社創建史」、松山能夫・編『明治維新神道百年史』第2巻、神道文化会、1966年。
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