「ケーテン (アンハルト)」の版間の差分

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== 歴史 ==
古くは'''Cöthen'''と綴られた。[[1603年]]に[[アスカーニエン家]]の[[アンハルト侯国]]が分家して、[[アンハルト=ケーテン侯国]]として[[神聖ローマ帝国]]の[[領邦|帝国領邦]]となった。[[1806年]]には[[公|公国]]に昇格するが、[[1847年]]に家系断絶。[[1863年]]に[[デッサウ]]の[[アンハルト=デッサウ公国]]に併合され、[[ドイツ帝国]]の構成国[[アンハルト公国]]の一部となった。[[1949年]]から[[1990年]]までは旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]領に属した。
 
== 文化 ==
作曲家[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]が、[[1717年]]から[[1723年]]まで[[レーオポルト (アンハルト=ケーテン侯)|アンハルト=ケーテン侯レーオポルト]]の下で宮廷[[楽長]]として仕えていたことで知られる。
 
侯家の信仰が[[カルヴァン派]]であり、[[17世紀]]から[[18世紀]]にかけて[[フランス]]から[[ユグノー]]教徒の[[亡命]]を受け入れていたため、その宮廷はフランス文化の影響が大きかった。侯国時代に建てられたフランス・[[バロック建築|バロック]]風の領主宮殿(Schloß Köthen)が現存し、[[博物館]]として公開されている。
 
== 関連項目 ==