「アグリッピナ・ワガノワ」の版間の差分

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[[1879年]]に[[サンクトペテルブルク]]に生まれる。
 
帝室バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)で学び、[[1897年]]卒業と同時にサンクトペテルブルクバレエ団(現[[マリインスキー・バレエ]])にコール・ドとして入団。確かな技術、男性舞踊手並みの高さのある跳躍、安定した動きで、“[[ヴァリアシオン (バレエ)|ヴァリエーション]]の女王”の名をほしいままにしていた。しかし、当時圧倒的に注目を集めていたバレリーナ、[[アンナ・パヴロワ]]や[[マチルダ・クシェシンスカヤ]]らの活躍もあり、現役時代は舞台に恵まれなかった。そして引退直前に、バレリーナに昇格した。
 
[[1916年]]に引退。[[1921年]]から母校のバレエ学校で教える。ここで自分なりに理解したものを教授していき、次第に信憑性を深めていき、[[マリナ・セミョーノワ]]をはじめ、[[ガリーナ・ウラノワ]]、イリーナ・コルパコワ、ナタリア・ドゥジンスカヤら、バレエ史に名を残すダンサーを次々と育て上げた。