「ポーランドの現代音楽」の版間の差分

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=== ヴィトルト・ルトスワフスキ ===
スターリン批判を率先して行った最初のポーランドの作曲家が[[ヴィトルト・ルトスワフスキ]]である。彼の「葬送音楽」(1954-1958年)は西側の前衛音楽への興味が最初に現れ、また公的に発表を許された最初期の作品である。ルトスワフスキは既に第二次世界大戦前から創作活動を行い、2台ピアノのための「パガニーニの主題による変奏曲」(1941年)完成時には[[新古典主義音楽|新古典主義]]的な独自の書法を完成させていた。この作品は[[アンジェイ・パヌフニク]]と作曲者自身の[[ピアノ]]で披露されており、21世紀に入っても高い人気を得ている。そのルトスワフスキ[[ジョン・ケージ]]の「ピアノとオーケストラのためのコンサート」(1958年)を聞き、作曲観が180度回転するほどの大ショックを受け、新しい個人様式への渇望を感じるようになったという。
 
彼の個人様式を語る上で欠かせないのが「ad lib.動律」である。作品は五線譜上に通常の定量記譜法で書かれるが、「パート同士の縦の線を合わす必要はない」とされ、指揮者は入りの瞬間のみを提示し、柔軟性に富んだテクスチュアが展開される。この時期の「ヴェネチアの遊び」、「オーケストラの書」、「チェロ協奏曲」などにこの作風は強く現れている。しかし、1970年代以降ルトスワフスキはセミクラシック的な作風を濃くしてゆく。