「宮城町」の版間の差分

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宮城県中部、宮城郡西部、[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]の上・中流域、仙台市の西隣にあった。町域は大部分山林で、広瀬川沿いの段丘と支流沿いに平地があった。河岸段丘である盆地が支流の[[芋沢川]]流域にあり、水田が作られた。これに匹敵する平地は対岸の[[愛子]](あやし)にあったが、肥沃とはいえない地質であった。
 
町役場は愛子に置かれ、その辺りが町の中心市街であった。川にそって[[国道48号]](作並街道、関山街道)が東西に通り、仙台と山形を結ぶ交通の要地であった。広瀬川上流に[[作並温泉]]があり、支流の[[大倉川 (宮城県)|大倉川]]流域には[[定義如来]]があって、訪れる人が多かった。
 
* 山岳 - [[北泉ヶ岳]] (1253.1m) 、[[鎌倉山 (仙台市)|鎌倉山]] (520.0m)
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<tr><td>第三次産業</td><td align=right>9.5</td><td align=right>28.5</td><td align=right>62.0</td></tr>
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20世紀半ばまで農業に従事する人が多かったが、副業も盛んであった。広い山林で林業が行われた。川沿いの平地では水田と畑を半々に農業を営み、米、麦、豆、野菜を作った。町内で[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]は深い谷を流れるため、用水は支流と溜め池に仰いだ。[[大倉ダム]]ができると[[大倉川 (宮城県)|大倉川]]下流このダムの水で潤った。
 
蒲沢鉱山で[[砂鉄]]と[[チタン]]が採掘・精錬された。他に6か所で[[亜炭]]が採掘された。亜炭の炭鉱は[[1968年]]に閉山になった。