「山内清男」の版間の差分

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m 佐藤達夫 (考古学者)
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=== 縄文時代開始年代の解明 ===
山内は縄文時代の始まりについて、従来から縄文時代の年代を一つの「期」を50年として、50X6=300年として、弥生時代の始まりを[[紀元前700年]]頃とした上で、縄文時代の始まりを約3000年前としていた。その後、「矢柄研磨器について」の中で、欧州やシベリア、北朝鮮から出土した矢柄研磨器<ref>[[砥石]]の一種で、断面が半円形をしており水平面に溝を有する。山内は、こうした砥石が2個ずつ出土する点や、射手の墓場に副葬されている点、[[インディアン]]などの民族例から、溝に[[矢]]の柄を挟み、研磨してまっすぐにする道具だと考えた。画像は関連リンク[http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko23yagarakenma.html「矢柄研磨器と有溝砥石の関係」参照。]</ref>の年代を紀元前2500年前から紀元前1500年前とした上で、こうした矢柄研磨器が日本各地の縄文時代草創期から早期の遺跡から出土することから、縄文時代の始まりを紀元前2500年前に修正し、そうすると縄文時代早期後半から前期前半の[[縄文海進]]がリトリナ海進に一致することを主張した。
 
その後、芹沢長介は山内の反論について、シベリアではイサコヴォ期([[沖積世]]初頭から[[新石器時代]]初頭)までの約4000年の資料が少なく不明瞭であり、中国でも周口店上洞文化から[[彩文文化]]までの研究が未発達であることを指摘して、大陸の矢柄研磨器の年代が縄文時代の年代決定の根拠にならない<ref>芹沢長介「旧石器時代の終末と土器の発生」</ref>と批判した。また、山内が「矢柄研磨器」とした溝のある砥石についても、その後の研究の進展で1万年前に及ぶものがあることが指摘され<ref>加藤晋平「北東アジアの単条有溝砥石について」</ref>、また日本においても矢柄研磨器が旧石器時代から弥生時代に広く存在し、しかも山内が「矢柄研磨器」とした砥石の大半が2個一組で出土したわけではなく、水平面に溝があるだけで矢柄研磨器とみなしていることを批判する論考も見られる<ref>宮下健司「有溝砥石」</ref>。