「十津川大水害」の版間の差分

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== 気象状況 ==
[[秋雨前線]]が日本付近に停滞しているところへ、[[台風]]が南海上から接近、8月18日から19日にかけて和歌山県から奈良県南部の範囲に大雨をもたらした。台風は19日午前6時過ぎに[[高知県]]東部に上陸し、まっすぐ北上して[[四国地方]]及び[[中国地方]]を縦断、20日に[[日本海]]に抜けた<ref name=HiranoEtal>京大防災研究所年報第27号B-1 {{PDFlink|[http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/70635/1/a27b1p31.pdf 1889年8月豪雨による十津川災害の再検討]}} 平野昌繁ほか</ref><ref name=singuu>[[国土交通省]] [http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/shingu_index.html 新宮川水系河川整備基本方針] {{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/shingugawa66-5-4.pdf 4.水害と治水事業の沿革]}}</ref>。 和歌山県の記録によると、20日午前3時頃から西南風が強く吹き、711mbの低気圧に風速40mをともなって県下に襲来、雨は[[9月7日]]まで降り続いた<ref name=kino>和歌山河川国道事務所 [http://www.kkr.mlit.go.jp/wakayama/history/kinokawa/7_3.html 紀の川のむかし 明治・大正時代]</ref>。記録に残る[[和歌山県]]での最大雨量は20日に現[[田辺市]]元町で観測した日雨量901.7mm、時間最大雨量は169.6mm<ref name=singuu/><ref>和歌山県土整備部河川・下水道局河川課 {{PDFlink|[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080400/pamph/pdf/wakakasenH21.pdf 和歌山の河川]}}</ref>。奈良県[[吉野]]地方では19日の雨量は1,000mmを越え時間雨量は130mmと推定されている<ref>『十津川水害と北海道移住』P12</ref>。
<ref name=singuu>[[国土交通省]] [http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/shingu_index.html 新宮川水系河川整備基本方針] {{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/shingugawa66-5-4.pdf 4.水害と治水事業の沿革]}}</ref>。 和歌山県の記録によると、20日午前3時頃から西南風が強く吹き、711mbの低気圧に風速40mをともなって県下に襲来、雨は[[9月7日]]まで降り続いた<ref name=kino>和歌山河川国道事務所[http://www.kkr.mlit.go.jp/wakayama/history/kinokawa/7_3.html 紀の川のむかし 明治・大正時代]</ref>。記録に残る[[和歌山県]]での最大雨量は20日に現[[田辺市]]元町で観測した日雨量901.7mm、時間最大雨量は169.6mm<ref name=singuu/><ref>和歌山県土整備部河川・下水道局河川課 {{PDFlink|[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080400/pamph/pdf/wakakasenH21.pdf 和歌山の河川]}}</ref>。奈良県[[吉野]]地方では19日の雨量は1,000mmを越え時間雨量は130mmと推定されている<ref>『十津川水害と北海道移住』P12</ref>。
 
== 奈良県内の被害 ==
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上表の被害数などは各巻末の統計表にある数値をまとめたものである。被害数などについては第1巻巻頭の緒言に全村の合計数があり、また各巻の本文中に各村の数値がある。死者数・流出戸数・全壊戸数については村によって本文中の記載が末表の数値と微妙に異なるものがあるがほぼ一致している。
 
一方、大規模崩壊数については12村中5村で数値が異なる。例えば宗檜村は末表では0となっているが本文中では101ヶ所と記載されており、各村の本文の数値を合計すると1,372ヶ所となる。また末表と本文の数値を仮に誤差範囲と考えても緒言では大規模崩壊数を247ヶ所としており大きく異なる。この緒言の247については、大規模崩壊箇所が200を越える村が3村あることから考えても明らかな誤りと判断できる。調査数値1147を247と取り違えて印刷されたのかもしれない<ref>『十津川水害と北海道移住』P175</ref>。なお、大規模崩壊数とは縦横50間以上(縦横約90m以上)の山地崩壊の発生数である。小規模な崩壊は至るところで発生しており地域により無視されていたり無数と記述されている<ref>『十津川水害と北海道移住』P13</ref>。
 
== 和歌山県内の被害 ==
十津川は奈良・和歌山県境から下流を熊野川と呼ばれるが、その河口の[[新宮町]](現[[新宮市]])でも、死者7人、流失・全壊戸数591戸などの被害が記録されている<ref name=singuu/>。熊野川中流の本宮村(現[[田辺市]][[本宮町]]本宮)では、中州にあった[[熊野本宮大社]]社殿は破損し、のちに山寄りに移築されることとなった。
 
一方、和歌山県中部を南流する[[富田川]]では、県の調査によれば過去の記録には全く見られない水位18mの大増水が生じた。河口近い現[[白浜町]]域では、19日午前2時頃、堤防が一斉に決壊、濁流により「人家はほとんど流失、人間や多くの家畜・木材や砂や岩石と共に上流から流れてきて海に向かって音をたてて注いでい」ったという。富田川流域全体で、死者565人、負傷者52人、家屋流失749戸、半流47戸、全壊459戸、半壊148戸、牛馬の死亡136頭、堤防は各所で壊れ、手入れの行き届いた水田も河原のようになっていた、などの被害が伝えられている。この地域から、十津川村のように[[屯田兵]]や一般住民として北海道へ渡っていった人々もあった。<ref>富田川治水組合 [http://www.town.kamitonda.lg.jp/chisui/taisaku01.html 富田川の治水対策]</ref>
 
他に、[[紀の川]]、[[有田川]]、[[日高川]]、[[会津川]]、[[日置川]]など県内の主要河川が激しく氾濫し、山崩れも引き起こされ、河川沿いの集落や田畑は壊滅的な打撃を受けた。浸水町村数は2町178村にわたり、死者総数1247人(内訳は、富田川流域565人、会津川流域320人、日置川流域49人、熊野川流域7人、など)、流出家屋3675戸、全壊家屋1524戸、半壊家屋2344戸、浸水家屋33081戸、橋梁流失931件、船舶流失247雙、死亡牛馬227頭、耕宅地流失7000町歩、堤防決壊1072ヶ所などの被害がもたらされた<ref>[[上富田町]][http://www.town.kamitonda.lg.jp/kami50y/kami50y10001.html 明治二十二年の水害と戦後の治水対策-富田川の災害と治水(その2)-]</ref><ref>国土交通省近畿地方整備局 紀の川流域委員会 {{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/kino-5-04.pdf 水害と治水事業の沿革]}}</ref><ref name=kino/>。