「国民救済党」の版間の差分

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こうした政治危機の中、エルバカンは[[1980年]]8月に、[[アタテュルク廟]]での[[希土戦争_(1919年-1922年)|独立戦争]]戦勝記念日の行事を欠席しただけでなく、翌[[9月6日]]に[[コンヤ]]で大規模な政治集会を催し、集会参加者がトルコで禁止されているトルコ帽([[フェズ_(帽子)|フェス]])を被って、[[シャリーア|イスラーム法]]の施行を要求するプラカードを掲げてデモ行進をするなど、急進的な示威行動を展開した<small><ref>新井 pp.281-282. 澤江 pp.98-101.</ref></small>。
 
こうした[[ケマル・アタテュルク|アタテュルク]]に対する公然の批判や、トルコの国是である[[世俗主義]]原則の否定は、現体制に対する深刻な敵対行為として軍部に受け取られ、軍の政治介入の直接の契機となった。[[1980年]][[9月12日]]に[[9月12日クーデター|軍部はクーデタを起こし]]、全政党は活動を禁止された。国民救済党も非合法化され、エルバカン以下主要幹部も逮捕された。同党の支持勢力は、[[1983年]]の民政移管の際に結成された[[福祉党_(トルコ)|福祉党]]に移ることとなった。
 
==総選挙での得票率、獲得議席数==
1,401

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