「岡部芳幸」の版間の差分

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とりわけ佐藤慎太郎とは一時期からレースに同乗しても全く連携を見せないようになり、山崎においても2006年の[[高松宮記念杯競輪]]準決勝において、レース中に岡部が山崎との連係を切ったことに端を発し、福島県勢だけでなく北日本地区内からも岡部に対する風当たりがきつくなったと語られており、さらに同年の[[共同通信社杯競輪]]においては岡部が山崎を捲り切ったばかりか、岡部マークを得て優勝した[[熊本県|熊本]]の[[合志正臣]]に対して盛んに祝福した光景が実況中継で映し出されたことから、福島勢内における関係に溝が入っていることは決定的とされる状況をファンも目撃した。
 
これ以降も岡部は同県のみならず同地区の選手と同乗しても孤立するケースがしばしば見られたが、不利な立場にあっても自分一人で上位入着をもぎ取るレースを見せることから、車券購入の視点においては一定の評価を得ており、様々な視点から注目される状況になった。近年は前述の山崎や佐藤と連携することも増えているが、同じ白河地区の[[成田和也]]とは依然として連携していない
 
2008年以降になると岡部本人も「[[ライン (競輪)|ライン]]の大切さを感じるようになった」として、東北ラインの一番後ろをしっかり固めるレースも多い。また後輩の伏見俊昭を連れて果敢に先行したレースもある。近年は若手先行型の後ろを回るケースも増えてきたため、縦に踏む脚をうまく使った競り技術を身につけようとしている。それでも単騎での強さは相変わらず比類がない
 
最近は有名人だけではなく多くの競輪選手も[[ブログ]]を執筆しているが、岡部は現在のブログを2008年4月に開始する以前に別のところですでに日々の出来事などをつづっていた。