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[[オスマン帝国]]治下の[[ムーラ (トルコ)|ムーラ]]で、[[ギリシャ]]商人の家に生を享ける。少年時代に[[イスタンブール|コンスタンティノーブル]]へと出て[[貿易商]]の伯父の許で働くも、店の資金を[[横領]]して[[ロンドン]]に逃亡。事態に蹴りをつけると[[スウェーデン]]の武器製造業者・ソーステン=ノルデンフェルト社の代理人として[[アテネ]]に赴き、ギリシャ軍相手に武器売り込みに活躍する一方で、そのギリシャと軍事的に対立していたオスマン帝国にも武器を売り込むなど同社の売り上げに貢献した。
 
その後、[[マキシム機関銃]]を発明した[[ハイラム・マキシム]]と邂逅し、やがてマキシム社をノルデンフェルト社と合同させると共に機関銃の売り込みで力を振るった。そのマキシム=ノルデンフェルト社も[[1897年]]にヴィッカース社に買収され、その代理人としてまた大株主としてザハロフは武器取引で重きを成した。こと[[第一次世界大戦]]では[[イギリス]]・[[フランス]]など連合国の武器調達に深く関わると共に、ギリシャの支援にも力を尽くした。だが[[ギリシャ・トルコ希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]]をめぐるザハロフの工作が議会で追及されるに至り引退を決意、[[モナコ]]に隠棲し[[モンテカルロ]]で没した。
 
==参考文献==