「蒔田広孝」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
→‎生涯: link調整
28行目:
[[元治]]元年([[1864年]])の[[禁門の変]]では、[[京都見廻役]]として活躍する。[[慶応]]2年([[1866年]])4月12日、[[長州藩]][[第二奇兵隊]]を脱走した[[立石孫一郎]]ら長州浪士100余名により、浅尾[[陣屋]]は[[倉敷代官所]]と共に襲撃され灰燼に帰した([[倉敷浅尾騒動]])。慶応4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では、新政府に与して[[岡山藩]]と行動を共にしている。
 
[[明治]]2年([[1869年]])の[[版籍奉還]]で[[藩知事]]となり、明治4年([[1871年]])7月の[[廃藩置県]]で免官となって東京へ移った。明治17年([[1884年]])、子爵。明治30年([[1897年]])、第3代[[浅尾村]]長、明治41年([[1908年]])5月には初代[[総社町 (岡山県)|総社町]]長となる。大正7年(1918年)3月24日に死去。享年70。
 
{{浅尾藩主|蒔田氏||1863年 - 1871年}}