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そこで陳余は、秦の支配下になっている趙を攻めたいと陳勝に申し入れ、[[武臣]]に3千の兵を与えて趙の地を攻めさせた。趙の地を知り、豪族とも交流のある陳余は趙の豪族を説得して味方に引き入れ、趙の10城以上を占領したが、攻めても落ちない城もあった。
 
そこで陳余・張耳は北東の范陽へ転戦した。当地の弁士・[[カイ通|蒯通]]が「秦に仕える趙の太守は報復を恐れて降伏しないので、太守に侯の印を渡し、報復をさせない形で降伏を促せばよろしいでしょう」と助言し、それに従った結果太守たちは次々と降伏し、かつての趙の首都であった[[邯鄲市|邯鄲]]を占領することに成功した。
 
そのころから、陳勝が疑心暗鬼に陥り、次々と家臣を殺害しているという話が張耳と陳余に聞こえてきた。そこで二人は「武臣が趙王を名乗れば陳勝に殺されることはない」と進言、武臣は趙王に即位し、陳余は上将軍、張耳は右丞相、邵騒は左丞相となった。