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'''アプリオリ'''とは、[[経験]][[認識]]に先立つ先天的、自明的な認識や[[概念]][[カント]]および新カント学派の用法。[[ラテン語]]の''a priori''に由来する。
 
== 法学概要 ==
カントによれば時間と空間はアプリオリな概念である。なぜならこの二つは、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念だからである<ref>この二つが先立っていることが絶対に自明なのではなく、この二つが与えられなければ、[[物自体]]が認識出来ない以上、[[純粋直観]]として、何も認識出来ないことを、カントは強調してい。</ref>
 
なお、この二つは自然に想像される時間あるいは空間ではなく形式的である。[[感覚]]的には[[太陽]][[地球]]を回っているように「感じられる」としても、そうではないという[[比喩]][[カント]]も援用していることから、ある新しい構成<ref>この場合は経験、感覚等を[[捨象]]することにより、地球が太陽を周回しているという[[綜合的判断]]が得られる。</ref>の為に、それらは[[純粋直観]]に与えられる、という比喩表現を許されたい。この空間は、物理空間に先立つ=(アプリオリ)な空間である。[[純粋直観]]が不可能であれば[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]的懐疑に陥るという懸念にも留意されたい。
※この二つが先立っていることが絶対に自明なのではなく、この二つが与えられなければ、[[物自体]]が認識出来ない以上、[[純粋直観]]として、何も認識出来ないことを、[[カント]]は強調している。
なお、この二つは自然に想像される、時間あるいは空間ではなく、形式的である。[[感覚]]的には太陽が地球を回っているように「感じられる」としても、そうではないという比喩を[[カント]]も援用していることから、ある新しい構成(この場合は経験、感覚等を[[捨象]]することにより、地球が太陽を周回しているという[[綜合的判断]]が得られる)の為に、それらは[[純粋直観]]に与えられる、という比喩表現を許されたい。この空間は、物理空間に先立つ=(アプリオリ)な空間である。[[純粋直観]]が不可能であれば[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]的懐疑に陥るという懸念にも留意されたい。
 
もっとも今日的な一般的用法としては、アプリオリとは、「演繹的証明の必要のない自明的な事柄」という意味で使われることが多い。
 
[[認識論]]において用いられる難解な言葉であり、アプリオリは[[アポステリオリ]]の[[対語]]である。「先験的」「先天的」などと訳される場合があるが、どちらの訳もこの語の意味にあっていないと言われ、多くの場合「アプリオリ」と[[カタカナ]]で書かれる。
 
アプリオリの具体的な意は、「私はこのことをアプリオリに知っている」は「私はこのことを知っているが、経験を通じて知ったのではない」と言うような具合である。アプリオリの意は非常に複雑であり、わかりにくいと言われる。
 
== 法学におけるアプリオリ ==
 
== 法学 ==
[[法学]]上の文脈で用いる場合には、いわゆる「自明」ないしは「所与のもの」などの語義と同視して用いられることがあり、特に[[論証]]や立証なくして明らかな事項(明らかであるとして扱ってよい事項)、などの意として使われる。
 
== 脚注 ==
<references/>
 
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