「早坂茂三」の版間の差分

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*1993年の[[総選挙]]で真紀子が初当選したときに、選挙特番に出演していた早坂が「マコちゃんおめでとう」とねぎらいの言葉をかけたがピンマイクが外れて聞こえないふりをされている。
*1999年5月、因縁の深い[[全日本空輸|全日空]]機の離陸時に、椅子を倒したままだったので[[スチュワーデス]]に椅子を元に戻すように促されたが、頑なに拒否。出発が大幅に遅れた。翌日の新聞にも報道され、マンガでも扱われた。
*2001年に[[TBSテレビ|TBS]]の『[[ここがヘンだよ日本人]] [[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[田中真紀子]]特集』にゲスト出演したが、「田中真紀子」紹介のVTR後、真紀子に対する自分のコメントを聞かず、やたら野次を飛ばす外国人出演者たちの態度の悪さに感情を露に怒っている。
*2004年4月号『[[文藝春秋]]』の「特集 250万人が読んだ[[芥川龍之介賞|芥川賞]]二作品の衝撃」で、20歳で芥川賞を受賞した[[綿矢りさ]] と、[[金原ひとみ]]の作品を批評、綿矢「[[蹴りたい背中]]」を「私の[[旧制中学]]時代は『天皇のために死ね』、『[[本土決戦|鬼畜米英]]を撃滅せよ』の毎日であり、高校生仲間の[[村八分|ムラ八分]]でうじうじする少年少女は倖せ者で羨ましい」と評し、舌にピアスをする若者を描いた金原「[[蛇にピアス]]」には、「私の若い頃は親から貰った体を大事にしろといわれたものだ」と発言。他の寄稿者がほとんど全員「理解ある」態度を示す中で、高齢者としての違和感を率直に表明して異彩を放った。まもなく早坂は病没、これが最後の文章でまさに「遺言」となった。