「葛井寺」の版間の差分

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:本堂宮殿内に安置される当寺の本尊像。毎月18日以外は開扉されない[[秘仏]]である。<!--寺伝では725年[[行基]]によって開眼法要が営まれたというが、-->[[8世紀]]半ばごろの作で、記録によれば鎌倉期には六角宝殿内に安置されていたという。八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、像高(髻頂部まで)は130.2cm(頂上仏面を含めた像高は144.2cm)。胸前で合掌する2本の手を中心に1039本の大小の脇手が円形に展開している。
 
:合掌する本手を含む本体は大陸から伝来した[[乾漆造|脱活乾漆法]](麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)で造られ、これに木心乾漆の大小手(脇手)を組み合わせた構造で、[[X線]]透視による内部調査では天平前期[[乾漆像]]の特徴を示している。
 
:脇手は[[持物]]をもつ大手38本、小手1001本(右500本、左501本)で、造像当初にはすべての脇手に墨描で眼が表されていたと考えられており、現在も一部の墨描が残存している。合掌手を除く大小の脇手は、像の背後に立てた2本の支柱に打ち付けられており本体とは離れているが、正面から見ると像本体から千手が生えているように見える。