「山中温泉」の版間の差分

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=== ゆげ街道 ===
共同浴場からこうろぎ橋に至る[[国道364号]]の途中400mは道路幅6mから倍以上へと拡幅、全店舗を再構築と大改修を行い、温泉情緒ある街並みに変貌し「ゆげ街道」と呼んでいる。商店街と温泉客との融合活性化を図り景観も優れ、{{jdate|[[2003}}年]]([[平成]]15年)完成後、いしかわ景観大賞、{{jdate|[[2004|年]]([[平成]]16年)[[10}}月]]都市景観大賞[[国土交通大臣]]表彰の楽しめる街並みでその先進性から全国の商店街からの視察も多い。{{jdate|[[1931}}年]]([[昭和]]6年)の町の大火でも奇跡的に現存する寺から南部は延焼を免れ、道路幅6mと狭かった。{{jdate|[[2009|年]]([[平成]]21年)[[3}}月]]に「[[新・がんばる商店街77選]]」に選ばれた。
 
=== 道の駅 山中温泉ゆけむり健康村 ===
以前からの施設が{{jdate|[[2005|年]]([[平成]]17年)[[3}}月]]から[[道の駅]]として登録され、[[こおろぎ橋]]から[[国道364号]]約1km[[大聖寺川]]上流にある。[[栢野大杉]]や[[丸岡・山中温泉トンネル]]を経て福井県[[坂井市]]や[[永平寺]]方面からもアクセス可能で、福井県からの利用も多い。道の駅として必須である24時間利用可能なトイレや[[駐車場]]だけでなく、100%温泉の保養施設ゆーゆー館、露天風呂、短水路温泉プール、うたせ湯、サウナ、家族風呂、テニスコート、ゲートボールコート、フィットネスジムなど、多彩な施設を備えている。対岸の旅館街からも行き来できる徒歩専用の橋もある。以前の山中中学校跡地でグラウンド近くの水田の一ヶ所だけは冬季少ない積雪量のとき、必ず水溜りが見え温泉源がある可能性大と思われており、学校の移転後試掘された。
 
=== 栢野大杉 ===
回遊バスが巡る街最南端にある巨木、[[栢野大杉]](樹齢約2300年)は僧[[泰澄]]([[717年]])が百本の木(木[[偏|へん]]に百の[[旁|つくり]]で'''栢''')に勝るとし[[栢野寺]]となり、{{jdate|[[1947}}年]]([[昭和]]22年)に[[昭和天皇]]が[[巡幸]]でご覧になったことから[[天覧の大杉]]とも呼ばれる。古くは[[平氏]]、[[源氏]]、[[朝倉氏]]、[[富樫氏]]の武将が参詣したと伝えられる。
 
== 行事 ==
[[奥の細道]]の[[松尾芭蕉]]と[[河合曾良]]は驚異の速さで行程を歩いたが、終点の[[岐阜県|岐阜]][[大垣市|大垣]]を目前に安堵したか、温泉嫌いであった芭蕉もここ[[山中温泉]]の名湯が格別気に入り八泊後、芭蕉は[[那谷寺]]を参詣し[[小松市|小松]]へ戻り、腹を病んでいた曾良を先に帰し[[大聖寺]]へと別れた。[[重陽]]の節句('''菊の節句''')に因む名湯を称えた句を残す。
 
{{jdate|[[1903}}年]]([[明治]]36年)初代新家熊吉(あらや くまきち)は高価な[[輸入]][[自転車]]に対して安価な普及を願い[[山中漆器]]の工程からヒントを得て初めて木製[[リム (機械)|リム]]を製造し、[[日露戦争]]時で需要も旺盛となり、{{jdate|[[1915}}年]]([[大正]]4年)に英国製を手本に国産初の金属製リムの製造に成功。{{jdate|[[1946}}年]]([[昭和]]21年)に「ツバメ號」自転車を生産し、その後リムと共に[[ローラーチェーン|チェーン]]の製造も手がけ、これらは加賀市の機械産業の一翼となっている<ref>{{Cite web|year=2011年|month=1月|url=https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/bitstream/10119/9587/1/No.37.pdf|title=漆器と自転車の意外な関係|format=PDF|work=JAIST社会イノベーション・シリーズ4, 37|publisher=[[北陸先端科学技術大学院大学]]|accessdate=2011-02-14}}</ref>。上原町[[国道364号|国道]]脇の丘に[[翁]]の[[銅像]]があり、傍に[[シダレザクラ]]もある。二代目新家熊吉は初代[[加賀市]]長となった。
 
[[昭和]]初期まで各温泉宿には[[内湯]]が無く「湯ざや」と呼ばれる[[共同浴場]]を利用していた。
 
{{jdate|[[1938}}年]]([[昭和]]13年)[[大日本帝国海軍|海軍]]は[[佐世保鎮守府|佐世保]]、[[呉鎮守府|呉]]、[[横須賀鎮守府|横須賀]]の[[鎮守府 (日本海軍)|鎮守府]]管理のもと既存の三つの温泉病院(他に三病院、[[青森県]][[むつ市]][[大湊湾]]、[[大韓民国|韓国]]・[[鎮海市|鎮海港]]、[[台湾]]・[[馬公市]])に加え、[[舞鶴鎮守府]]の管理で日本海側にも一つ温泉病院の設立を決定した。各地で誘致合戦が展開され、戦況から[[毒ガス]]の使用が予想され、毒ガス傷病兵に効能ある[[泉質]]から山中温泉に土地の無償提供もあり{{jdate|[[1941|年]]([[昭和]]16年)[[10}}月]]'''山中海軍病院'''が開設された。{{jdate|[[1945|年]]([[昭和]]20年)[[12}}月]]国立山中病院、{{jdate|[[2003|年]]([[平成]]15年)[[3}}月]]'''山中温泉医療センター'''となった。加賀市合併後、市の施設とし運用され、管理運営は[[地域医療振興協会]]に委ねている。また、{{jdate|[[1946}}年]]([[昭和]]21年)付属看護婦養成所を併設し、{{jdate|[[1953}}年]]([[昭和]]28年)高等看護学院を開設、{{jdate|[[1975}}年]]([[昭和]]50年)付属[[看護学校]]と改称、{{jdate|[[2004|年]]([[平成]]16年)[[4}}月]]全国の[[国立病院]]が[[独立行政法人国立病院機構]]となったのを機に全国50余校と共に廃校となった。
 
{{jdate|[[1959}}年]]([[昭和]]34年)、遊園地、スキー場、ロープウェイを含むレジャー施設『[[山中水無山展望台]]』が開業({{jdate|[[1978}}年]]([[昭和]]53年)に営業休止<ref>[http://www.8beat.com/ropeway/yamanaka.htm 山中温泉ロープウェイ]</ref>)。
 
{{jdate|[[1978}}年]]([[昭和]]53年)、[[俳優|女優]][[樋口可南子]]の[[デビュー]][[TBSテレビ|TBS]]系テレビ小説『[[こおろぎ橋]]』(当時[[江沼郡]][[山中町]]菅谷町に在住していた[[佐々木守]]の[[脚本]])で再び知れ渡った。{{jdate|[[1996}}年]]([[平成]]8年)から{{jdate|[[1999}}年]]([[平成]]11年)まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系([[東海テレビ放送|東海テレビ]]製作)の[[東海テレビ制作昼ドラマ|昼ドラマ]]『[[はるちゃん]]』の舞台になった。
 
{{jdate|[[2009}}年]]([[平成]]21年)から温泉街の料飲業協同組合は[[洋楽]]の名盤と呼ばれた[[レコード]]の[[ディスクジャケット]]の写真などを[[パロディ]]とした創作画像を盛り込んだ「[[グルメ]][[マップ]]」を温泉客に配ったことが新聞やテレビで取り上げられ話題となった。パロディ画像の一例として[[ビートルズ]]の4人が[[アビイ・ロード]]の[[横断歩道]]を渡るのを模して、山中温泉ゆかりの4人、[[道場六三郎]]、[[奥の細道]]の[[松尾芭蕉]]と[[河合曾良]]、[[九谷焼]]の始祖・後藤才次郎が「ゆげ街道」を横切るものがある<ref>[[読売新聞]] [[2011年]][[1月9日]]13版(関東版)30面、[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110109-OYT1T00073.htm 湯煙誘うカム・トゥゲザー、山中温泉マップ好評] [[2011年]][[1月9日]]01時47分Yomiuri Online</ref><ref>[http://www.y-gourmet.com/ 山中温泉料理飲食大図鑑]</ref><ref>[http://ameblo.jp/otokonosaga/entry-10762815539.html メリハリニュースブログ]</ref>。
 
== アクセス ==
* 鉄道
: JR[[北陸本線]]、[[加賀温泉駅]]からバスで30分、[[金沢駅]]より[[北陸鉄道]]グループの[[加賀温泉バス]]運行の特急バスが[[山代温泉]]経由で山中温泉まで走っている。
: また山中座から[[永平寺]]直通バス「永平寺おでかけ号」3月1日~11月30日の毎日運行全便予約制1日2往復ある({{jdate|[[2008|年]]([[平成]]20年)[[8|24}}日]]現在)。
: かつては[[北陸鉄道加南線]]が[[粟津駅 (石川県)|粟津駅]]・[[動橋駅]]・[[大聖寺駅]]から通じていたが、{{jdate|[[1971}}年]]([[昭和]]46年)に廃止された。
* 自動車
: [[北陸自動車道]][[加賀インターチェンジ|加賀IC]]から約30分、[[福井北インターチェンジ|福井北IC]]、[[丸岡インターチェンジ|丸岡IC]]から[[国道364号]]経由で約40分。
: 国道364号、[[福井県]][[坂井市]][[丸岡町]]山竹田から、[[県境]]の[[丸岡・山中温泉トンネル]]({{jdate|[[2004|年]]([[平成]]16年)[[4}}月]]開通)を抜け山中温泉大内町、[[我谷ダム]]、[[栢野]]町を経て温泉街に至る。
: [[金津インターチェンジ|金津IC]]からも[[福井県道10号丸岡川西線|福井県道10号丸岡川西線]]を経由して向かうこともできるが、狭小区間が長く、またカーブの多いことから多少時間がかかる。
: [[小松空港]]、[[那谷寺]]、[[粟津温泉]]方面からは[[四十九院トンネル]]を経由するルートが最短だが、{{jdate|[[2000|年]]([[平成]]12年)[[9}}月]]に新トンネルが開通したことで更に短縮された。
 
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== その他 ==
=== 地名としての山中温泉 ===
古来山中温泉街であった[[江沼郡]][[山中町]]と[[西谷村 (石川県)|西谷村]]、[[東谷奥村]]と[[河南村]]の3村が{{jdate|[[1955|年]]([[昭和]]30年)[[4}}月]]、[[市町村合併|合併]](新設合併)により、新たに山中町となる。{{jdate|[[2005|年]]([[平成]]17年)[[10}}月]]に[[加賀市]]と山中町が合併(新設合併)して加賀市となったのを機に、山中町の区域を[[地域自治区]]「山中温泉」とした({{jdate|[[2015|年]]([[平成]]27年)[[9|30}}日]]まで)が、旧村落部は一部を除き必ずしも温泉街ではない。
 
=== オールナイト屋外音楽祭 ===
[[1970年代]]、小松市出身のロックバンド[[めんたんぴん]]らが、全国に先駆けて終夜屋外での『夕焼けまつり』と称する音楽祭を開催した。第一回夕焼けまつりは{{jdate|[[1973|年]]([[昭和]]48年)[[8|25}}日]] - 26日<ref>[http://www.yk.rim.or.jp/~ubud/arc/73.html#アンカー 裸のラリーズ・ヒストリーより]</ref>に[[新家工業]]前臨峰苑<ref>[http://mentanpin.jp/bio.html めんたんぴん公式HP バイオグラフィー]</ref>、第二回は{{jdate|[[1975|年]]([[昭和]]50年)[[8|23}}日]] - 24日に[[山中水無山展望台|水無山スキー場]]<ref>[http://sora-yarz.com/yarz/bio.html 有田武生及びYARZのバイオグラフィー]</ref>にて開催された。
 
=== 出身者 ===
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