「金沢明子」の版間の差分

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[[1970年]]に16歳で[[日本民謡協会]]主催の全国大会優勝。
 
[[1975年]]にアルバム「若い民謡」(ビクターエンタテインメント)でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「民謡界の[[山口百恵|百恵]]ちゃん」であった。[[1979年]]に[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]優秀賞受賞
 
[[原田直之]]と共に[[日本放送協会|NHK]]の番組『[[民謡をあなたに]]』の司会を務めた。その中でジーパンをはいて民謡を歌う姿が当時は新鮮で人気を決定的にした。津軽民謡を得意としたが三味線奏者の[[本條秀太郎]]に師事したことによりレパートリーを広げ、民謡のレパートリー300曲と言われその場でリクエストに答えて即座に歌うコーナーもこなしていた。結果、[[1979年]]から2年連続『[[NHK紅白歌合戦]]』に出場。一日3時間しか寝られないというほどの売れっ子となり民放でも大活躍したがフジテレビの社員と結婚後、人気が急落した。離婚後、歯科医と再婚。