「秋田頼季」の版間の差分

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元禄9年(1696年)、[[三春藩]]主[[秋田氏]]の家臣だった[[荒木高村]]の子として生まれる。高村は秋田氏の一門(藩祖・[[秋田実季]]の外孫)で、秋田家の重臣であった。
 
当時の藩主であった[[秋田輝季]]の嫡男・[[秋田就季|就季]]が早世すると、輝季は落胆して政治を高村に一任するようになる。頼季は輝季の[[養子]]として収まり、季の娘を正室として[[正徳 (日本)|正徳]]5年([[1715年]])に家督を継ぐ。輝季は[[享保]]5年([[1720年]])に死去し、その後の[[御家騒動]]は「三春化け猫騒動」の元になったと言われる。
 
頼季は、父・高村に先立って寛保3年(1743年)に死去した。長男の[[秋田延季|延季]]が跡を継いだ
 
{{三春藩主|[[秋田氏|秋田氏当主]]|4代|1715年 - 1743年}}