「栄橋 (坂出市)」の版間の差分

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{{橋
|名称 = 栄橋
|画像 = [[ファイル:Gthumb.svg|200px]]
|国 = {{JPN}}
|都市 = [[香川県]][[坂出市]]
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== 概要 ==
[[{{jdate|1928年]]([[昭和]]3年)}}の竣工で、道路橋の跳上橋。新たな技術を使った[[橋梁]]である。この橋の竣工にあたって、坂出町長の島田恭平<ref>長く町政・市政に携わり、[[{{jdate|1962年]](昭和37年)}}に逝去。[[{{jdate|1963年]](昭和38年)[[|3月]]}}、坂出市の名誉市民となった。</ref>から[[山本卯太郎]]に感謝状が贈られ、竣工式典や渡行式が盛大に行われた。[[{{jdate|1961年]](昭和36年)}} に、運河が埋め立てられたことに伴い、撤去された。
 
=== 鋼索型跳上橋 ===
:山本卯太郎は[[名古屋高等工業学校]](現[[名古屋工業大学]])などで学び、{{jdate|1928年(昭和3年)[[|12月]]}}の論説報告<ref name="論説報告">山本卯太郎 「鋼索型跳上橋の一考案」『土木学会誌』第14巻第6号、[[土木学会]]、[[{{jdate|1928年]][[|12月]]}}。</ref>で、栄橋の設計・施工方法などを通じて独自の考案を発表。
:論説報告<ref name="論説報告"/>は難解な内容で、しかも独創的な着想に基づいて説述している。当時、その内容の意味する本質<ref>リンク・バランス・システムの考案</ref>について、理解が進まない者<ref>参照文献: 『土木学会誌』第15巻第4号、土木学会、[[{{jdate|1929年]][[|4月]]}}。</ref>もいた。
:鋼索型跳上橋の技術的なことに関しては、[[{{jdate|1930年]](昭和5年)}}に竣工した[[福島新橋]]についての文献<ref>「徳島市に架せられた最新式跳上橋」『土木建築工事画報』第6巻第5号、工事画報社、[[{{jdate|1930年]][[|5月]]}}。</ref>にも記載がある。
 
=== 栄橋と末広橋梁 ===
:栄橋竣工から3年半後、山本卯太郎は前出の論説報告<ref name="論説報告"/>で述べた理論を用いて、[[{{jdate|1931年]](昭和6年)[[|12月]]}}に[[末広橋梁]]を竣工させた。このことについて、『土木建築工事画報』の記事<ref>「四日市港の鉄道用鋼索型跳上橋」『土木建築工事画報』第8巻第1号、工事画報社、[[{{jdate|1932年]](昭和7年)[[|1月]]}}。</ref>で、次のように記されている。
::跳上機械設備は特種の経済装置を使用す。
::[[鉄道橋]]としての鋼索型跳上橋は新記録なり。
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== 諸元 ==
* 支間長: 9.7 メートル(32尺)
* 幅員: 3.6 メートル(12尺)
* 竣工: [[{{jdate|1928年]][[|7月]]}}
* 設計製作: 山本工務所(山本卯太郎)
 
== 関連項目 ==
* [[末広橋梁]]
* [[名古屋港跳上橋]]
* 山本卯太郎 - [[山本卯太郎#論説報告について|論説報告]]
 
== 脚注 ==
{{reflist}}