「八木治郎ショー」の版間の差分

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当初は[[1965年]]4月より『'''MBSウィークエンドショー'''』としてスタート。同年11月に『'''[[ウィークエンドショー]]'''』となり、[[1966年]]4月から[[1969年]]12月までは『'''[[ウィークエンドモーニングショー]]'''』というタイトルで放送された。『[[小川宏ショー]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]])の[[小川宏]]や『[[モーニングショー]]』(NETテレビ→テレビ朝日系列)の[[木島則夫]]と同様、[[日本放送協会|NHK]]からの引き抜きの形で1966年4月の『ウィークエンドモーニングショー』への改編を機に『[[私の秘密]]』の司会などを務めていた[[八木治郎]]をメイン[[司会|司会者]]に迎えた。<br />NETテレビ制作の『モーニングショー』とワンセットで放送されたが、[[1975年]]4月から[[ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消|腸捻転解消]]に伴いTBS系列の放送となり、完全に別番組となった。
 
当初は「[[教育]]・[[社会]]・[[政治]]・[[経済]]」をテーマに特集や討論を繰り広げる硬派の番組としてスタート。中でも[[吉岡すく]]の教育コーナー当番組での人気となった。その後、この番組をきっかけに[[1970年代]]以降、在阪[[テレビジョン放送局|テレビ局]]各社は全国ネットでの生ワイド番組を相次いでスタートさせた。そのため熾烈な[[視聴率]]合戦が繰り広げられ、後にゲストを迎えてのトークバラエティ路線へと徐々に軌道修正した。そして、1980年10月に放送時間が8時からとなり『[[八木治郎ショー・いい朝8時]]』にタイトルを変更、完全な[[トーク番組]]となった。
 
ちなみに、スポンサーは筆頭スポンサーの田辺製薬(現・[[田辺三菱製薬]])をはじめとした複数社の提供だった。
* [[芳村真理]]
* [[高見リサ]]
* [[吉岡たすく]] 他多数
 
== ネット局 ==
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