「ドラマツルギー (社会学)」の版間の差分

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ぬるぽん (会話 | 投稿記録)
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# "Performance" と"Audience" については、それぞれ「演技」・「観客」の訳語もあるが、前掲文献の「あとがき」(312 - 313頁)での石黒 毅の方針(例えば「パフォーマンス」について、「自然主義的視角からは、道具的側面と表出的側面をもつとされ両成素は分析的に分離されない」ことにより邦訳できないという)に準拠して特に和訳せず、「パフォーマンス」・「オーディエンス」とした。
# 「リミナリティ」はヴィクター・ターナーによれば、[[アルノルト・ファン・ヘネップ|アルノール・ファン・ヘネップ]]の通過儀礼の3段階構造の研究に見出した、「2つの位相の間の過渡的な状態」を指す概念または専門用語(cf.→[http://en.wikipedia.org/wiki/Liminality en:Liminality])。
# 「社会の中の部分であるかないか」(to be a part or not …… in a society)という問題関心は、社会が「地下茎の複合」(a rhizomatic conglomerate)であるとという見方と等値あるとし、むしろ境界コントロールにこそゴッフマンの中心的問題関心があるという意味である。</small>
 
==参考文献==