「柳沢時附」の版間の差分

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'''柳沢 時附'''(やなぎさわ ときます、生年不詳‐[[寛保]]1年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]([[1741年]][[11月20日]]))は、[[江戸幕府]][[旗本]]。旗本山高信吉の4男。母は[[柳沢安忠]]の娘。[[柳沢時憲]]の養子。通称は信尚、熊之助、弥一郎、源七郎。号は遊澤。妻は、伴政継の娘。
 
時憲には男子がいなかったため致仕後[[武蔵国]][[川越藩]]士(のち[[大和国]][[郡山藩]]士)・[[柳沢保教]]([[柳沢吉保]]の姉婿である[[柳沢信花]]の養子)2男[[柳沢安弘|安弘]]が家督娘婿とした継いだ
 
==略歴==
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*[[宝永]]5年([[1708年]])9月15日-新番組頭となる。のち西丸勤めとなる
*[[享保]]16年([[1731年]])10月15日-[[船手頭]]となる
*享保16年(1731年)12月23日-[[布衣]]の着用を許される(六位相当となる
*[[元文]]5年([[1740年]])3月14日-船手頭を辞職し寄合となる。その際に時服3領を拝領する
*元文5年([[1740年]])12月30日-致仕。養子の安弘が家督を継ぐ