「桂文我 (3代目)」の版間の差分

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*[[桂南光]]は文我に師匠である[[桂枝雀]]の芸がなってないと言われ、文我の胸ぐらを掴んで凄んだことがある。後日、南光が謝罪すると「酔っていたのでそんなことは少しも覚えていない」と言われた。
 
酒以外のエピソードとしては、若手時代の[[桂春之輔]]から「死ぬなら今」の稽古を乞われたところ、「早すぎる」と断ったことが知られる。<!--前述したように後輩にも快く稽古をつけた文我であったが、さすがにこの演目だけはある程度年齢を重ねてからでないと…と思ったのであろう(春之輔が「死ぬなら今」をネタ下ろししたのは[[2005年]](平成17年))。-->また、芸にうるさい客の集まる[[新世界]]の寄席新花月に出演中、握り飯を投げられたときに、「ありがたや。お天道さんと飯だけはちゃんとついてくる」と返した。だが別の日に得意ネタの『京の茶漬け』を演じた時はあまりの出来の良さに客はしんとして聞き入っていた。
 
== 関連項目 ==