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{{Sound|Alessandro Moreschi.ogg|カストラートの歌声|史上最後のカストラート、[[アレッサンドロ・モレスキ]]、1904年4月11日。エウジェニオ・テルツィアーニ作曲『生贄と祈りを』}}
== 概要 ==
男性を去勢することにより男性[[ホルモン]]の分泌を抑制し、男性の[[第二次性徴]]期に顕著な[[声帯]]の成長を人為的に妨げ、[[変声期]](俗にわゆる「声変わり」)をなくし、[[ボーイソプラノ|ボーイソプラノ]]時の声質や音域をできうる限り持続させようとしたもの。一方で[[成長ホルモン]]は分泌されるため、身長や胸郭は通常どおり成長し、胸郭をはじめとする骨格や[[肺活量]]の成長などは成人男性とほとんど変わらず、声のトーンや歌声の持続力は未成年や女性歌手では再現できないといわれる。
彼らの声は甘く、野性的でそれでいてとても官能的だったと言われる。
 
去勢の結果、感情的にはやや不安定になる傾向にあるが、それが歌唱の際の感情表現に役立つという説もあり、また、[[脂肪組織|脂肪]]が多くなり小太りになりやすい傾向は、歌う際の声質に有利に働くとの説もある。一方、現在のソプラノ歌手の歌唱や声量などについての議論も含め、体型や情緒面などと実際の歌唱との関係には不明な点や疑問点も多い。
 
その音域や声質により「ソプラノ・カストラート」や「アルト・カストラート」などに分かれていた。現在は人道的理由から存在しないため、当時のオペラなどのこのパートを再現する場合には、[[ソプラノ]]や[[アルト]]などの女性歌手、あるいは[[ボーイソプラノ]]、成人男性であれば[[カウンターテナー]]と[[ソプラニスタ]]で代用される。しかしながら、当時意図的に存在させた理由があるように、既成のパートではそれぞれの特色面でこれに欠ける点があり、完全な再現は不可能といわれる。つまり、ボーイソプラノは声質や音域には問題がないが声量や持続力など体力的に難があり、カウンターテナーは[[ファルセット]]のために高音部の声質に難があり、女声は声質自体が異なり軽く細い傾向にあるという点などである。
 
== 起源・歴史 ==
=== 盛衰の歴史 ===
一説によると、最古の者は[[14世紀]]に登場した{{要出典|date=2008年2月}}ともいわれ、歌う目的で一般化したのは[[1550年]] - [[1600年]]ごろの[[ローマ]]といわれている。途中、[[イタリア]]を中心に[[教会音楽]]から[[オペラ]]に進出し、[[1650年]]ごろから[[1750年]]ごろかけて[[ヨーロッパ]]各地でそのピークを迎える。途中、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が禁止令を出したが廃れることはなかった。オペラなどでのブームが過ぎ去った後もローマの[[カトリック教会]]では継続していたのだが、[[19世紀]]半ばには時の[[ローマ教皇]]の命により人道的見地から禁止され、廃れることとなる。
 
=== 登場の背景 ===
教会内で女性は沈黙を保たなくてはならなかったため、歌を歌うことは許されなかった。よって、変声期前の男声(現在のボーイソプラノに近い形態)で構成された。しかし、変声期によって声質を変えないままその声質を維持する為に、意図的に男子を去勢することによって始まったとされる。また教会内で行う演劇においても女性が参加することができず、少年では役柄の関係や声量が足りないことから、変声期前の声質を保った男性が必要とされた。
 
実際には、変声期直前のボーイソプラノの声質を有した少年が、偶発的な事故か病気のために[[睾丸]]を除去せざるをえない状態となり、変声期後の年齢になっても声質を保っていたことから、その後は意図的に行われるようになったという説が有力である。
 
=== 最盛期 ===
そのピークには、毎年4,000人以上にも及ぶ7歳~11 - 11歳の男子が去勢されたとの記録が残っていて、次第にその候補は下層階級へと移ってゆき、主にその親が一旗挙げる目的や、口減らし目的に利用した。しかしながら、当時の医療体制の未熟さや衛生環境などにより、去勢手術を受けた多くの男子の命が感染症などで失われたと憶測されている。さらには、去勢される対象の男子が、それ以前よりボーイソプラノなどの技術や音楽知識を有していなくてはならず、手術を受けたものの歌手としての素養のない者も多く(あくまで今日の視点から後付けで判断して)親の欲求のために無駄に去勢されてしまったといってもいいような男子も多かったと推測されている。
 
最も有名なカストラートは、[[ナポリ]]に生まれたの一人、[[ファリネッリ|カルロ・ブロスキ]]([[1705年]][[1月24日]] - [[1782年]][[1月25日]])は、[[ナポリ]]に生まれ、通称ファリネッリと呼ばれ、[[1994年]]に彼を主人公とした映画『[[カストラート (映画)|カストラート]]』が作られた。その音域は3[[オクターヴ]]半あったといわれている。
 
その他、セネジーノ、カファレッリ、グァダーニなど、多くのカストラートがオペラ界に進出して当時の社会現象ともなり、実際にその歌声を聞いて失神する上流階層の女性も少なくなかったという記録も残っている。また、2~32 - 3ヶ月公演するだけでその国の首相の年俸を超える収入を得る者も出てきたという。
 
幼少時の[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]は、ボーイソプラノとしても類稀な才能を有していたために周辺の人々からカストラートにされることが望まれたが、その父親の反対により実現せず、ベートーヴェン本人は後に[[作曲家]]となった。
 
=== 消滅期 ===
前述の様な経緯で廃止、消滅の道を辿った。[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]が19世紀半ばに出版した『管弦楽法』の中では、カストラートはすでに「ほとんど完全に姿を消しつつある」<ref>訳文は広瀬大介訳、[[2006年]]、[[音楽之友社]]2006年、p.455による。</ref>状態だったという。彼はローマでカストラートの歌声に接しており、件の状況を「それほど悔やまれることではない」としている。
 
記録に残る歴史上最後のカストラート歌手は[[1922年]]に死去した[[アレッサンドロ・モレスキ]]であり、[[20世紀]]初頭の録音が残されているが、年齢的にはピークの時期をおよそ過ぎてからのものである。
 
== 関連作品 ==
=== カストラートの為の楽曲 ===
* オペラ「セルセ」の[[アリア]]「[[オンブラ・マイ・フ]]」([[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]作曲)
* アレモテット「[[エクスターテ・ユビラーテ]]」([[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]作曲)
 
=== 小説 ===
* [[アン・ライス]](Anne Rice)著・[[柿沼瑛子]]訳『[[トニオ、天使の歌声]](上・下)』[[扶桑社]]ミステリー([[2001年]]10月)ISBN 4594032958(上)ISBN 4594032966(下)
* [[高野史緒]]著『[[カント・アンジェリコ]]』[[講談社]]([[1996年]]8月)ISBN 4062083272
<!--* 『ボルボリーノ』・・・(正体不明~検索エンジンでこの記事起源以外のものが全くヒットしませんので隠しました)-->
 
=== 映画 ===
* 『[[カストラート (映画)|カストラート]]』([[1994年]]、[[フランス]]・[[イタリア]]・[[ベルギー]]合作
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
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