「附属池田小事件」の版間の差分

[[2001年]][[6月8日]]10時20分頃、[[大阪教育大学附属池田小学校]]に凶器を持った男(甲、当時37歳)が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。結果、児童8名<ref>2004年に犠牲になった8人の児童追悼のために、代表して[[松本零士]]のファンで「[[銀河鉄道999]]」で宇宙を旅をすることが夢だった女児の名前が、松本原作の[[オリジナルビデオアニメーション|OVA]]作品「[[大YAMATO零号]]」の[[ヒロイン]]名に採用されている。</ref>(1年生1名、2年生7名)が[[殺害]]され、児童13名・[[教諭]]2名に[[傷害]]を負わせる惨事となった。男は校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕。その後[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]などで[[起訴]]された。
 
甲は逮捕当初、[[精神障害者]]を装った言動を取っていた<ref>取り調べで「何もかもが嫌になった。自殺では死にきれないので死刑になりたかった」などと発言した後に、「[[池田駅 (大阪府)|阪急池田駅]]で人を刺してきた。学校には来ていない」と不可解な発言をした。</ref><ref>甲は過去に15回もの犯罪に手を染めたが、精神科通院歴を楯に[[起訴#不起訴|不起訴]]処分(あるいは[[保護観察]]処分)という比較的軽い処分を経験している。</ref>。また、この事件は精神障害者の[[責任能力]]の問題が注目される契機の1つとなった。被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた、70日間におよぶ[[精神鑑定|情状鑑定]]の結果によれば「身体・知的」で、裁判所も公判でこの結果を肯定し責任能力を認めた。
 
=== 被告人の背景 ===
[[被告人]]となった甲の犯行動機は「いままで散々不愉快な思いをさせられ、何もかも嫌になった。自殺しても死に切れない。いっそのこと大量殺人をして死刑になりたい」と思ったことであった。その背景には[[アパート]]の[[家賃]]・[[闇金融]]・[[中古車]]の未払い金(中古車の本体価格約65万円のうち、約30万円の未払い)などの取り立て、彼が中学生の頃から25年来患っている[[うつ病]]、自ら起こした事件や離婚の訴訟などが関係しており、事件1ヶ月前の5月頃に既に絶縁していた実家の父親に、「体調が悪くてメシが食えない(働けないから援助してくれ)」と電話したが、「生活が苦しいなら役所と相談しろ」などと冷たくあしらわれてしまった。
 
[[士族]]の家に生まれたとされる[[祖父]]は、警官として奄美に渡った後、[[近畿地方|関西]]に出て、甲の父親の生活が始まる<ref>以下、[[今枝弘一]]のルポ『新潮45「怪物」はなぜ生まれたのか。池田小児童惨殺犯・甲守の父と語った100時間』による</ref>。この父親は、自分は「[[薩摩国|薩摩]][[武士]]」だとの強烈な[[プライド]]をずっと持ち続けていた。父親自身は、頑固親父に過ぎない。父親も甲同様、人生の勝利者にはなり得なかったが、自分の人生にプライドを持っていた。両親は[[工員]]で[[共働き]]であり、主に祖父母に育てられた。また、母親は彼が生まれる前、中絶しようと考えたこともあったと言う。兄が一人いたが事業に失敗して自殺している。家庭環境の影響から、父親からは厳しく接せられたとされている(父親自身も放任されて育てられたようである)。幼少の頃から[[三輪車]]で[[国道]]の中心を走って[[渋滞]]させたり、動物を虐待したりするなどの反社会的行動が目立っていた。同級生からは「些細なことで直ぐカッとなっていた」などの声が多く、「将来は[[自衛隊]](に)入るぞ~」と大声を上げたり、一人で[[軍歌]]を大声で歌っていたこともあった。そのことから少年時代のニックネームは「ごんた」(「ごんたくれ」の略。方言で悪ガキの意)だった。
中学校卒業後、[[尼崎市]]内の工業高校に入学するも2年弱で中退。その後パイロットになりたいと思い[[航空自衛隊]]に入隊したが、[[小牧基地]]で航空機の整備の仕事しかやらされなかった。のち、家出少女に対する強姦未遂を起こし、除隊処分を受けた。その後は市営バスの運転手・ゴミ収集・小学校の用務員・タクシーの運転手・ダンプの運転手など職業を転々としていたが、最後の犯行時には無職であった。私生活では4回の結婚・離婚を繰り返しており、その中には自分よりも40歳以上も年が離れた女性と[[養子縁組]]を結んでいたこともあった。
 
甲が犯した犯罪は、この事件の他に「高速道路の逆走」「実兄の愛車([[高級車|高級]][[輸入車]])を『[[サラリーマン]]が外車なんか乗るな』と角材で破壊して廃車同然にする」「小学校教諭のお茶に[[精神安定剤]]を混ぜる」「結婚した相手への暴行」など多岐にわたり、15回の逮捕歴を持つ。自衛隊除隊後には強姦事件を起こし、[[精神病]]を装うなどをして無罪を目論んでいたが、検察に見破られて実刑判決を受け、当時20歳程度だった本人は、少年刑務所で服役することとなり、出所後に父親に[[勘当]]された。
 
=== 公判 ===
公判で被告人は、「[[下関通り魔殺人事件|下関事件]]の模倣犯になりたかった」と供述していたほか、裁判長に対して「'''命をもって償います'''」と発言していた一方で、「'''あの世で子供をシバいてやる'''」「'''ワシをなめとる。30秒あれば1人位は殺せる。かかって来い'''」「'''[[道頓堀]]でダンプを暴走させればよかった'''」などの暴言を叫んだり、公判中に足を組んであくびをするなど反抗的な態度をとった。また「'''幼稚園ならもっと殺せた。死ぬことには全くビビっていない。死は一番の快楽'''」などと本心なのか虚勢を張っているのかわからない発言もしていた。その被告人の悪態ぶりに対して傍聴席からは「'''早く死ね'''」「'''一人で死ね'''」などの怒号が飛び交っていた。
 
なお、初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしていたことに対し、[[大阪地方検察庁]]の検事が[[週刊新潮]]のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」との証言をしている。公判後は「'''何も言えないよりは良かった。本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった'''」「'''刑事責任能力がそこまで認められたなら(控訴しても)仕方ない'''」と述べている。
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