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江戸時代中期の公卿。樋口康熙の次男。母はあるいは家女房。正二位・権大納言。樋口家4代
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樋口 基康(ひぐち もとやす、宝永3年7月11日1706年8月18日) - 安永9年6月27日1780年7月28日))は江戸時代中期の公卿藤原北家長良樋口家の当主。樋口康熙の次男。母は家女房。正室は高松藩3代藩主松平頼豊の娘。子女は樋口冬康二条治孝側室など。号は観無量寿院。正二位

略歴

宝永3年(1706年)に樋口康熙の子として生まれる。宝永2年(1705年)に異母兄康輝が夭折したため、その後生まれた庶子の基康が樋口家を継いだ。宝暦10年(1760年)に参議、安永4年(1778年)に権大納言となった。安永9年(1780年)死去。享年75歳。