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サラバンドが初めて言及されたのは[[中央アメリカ|中米]]においてである。[[1539年]]にフェルナンド・グスマン・メヒアが[[パナマ]]で書いた詩の中で、「'''サラバンダ'''」(''zarabanda'' )と呼ばれるダンスが言及されている。どうやらこのダンスは、スペイン[[植民地]]で人気があり、これが[[大西洋]]を渡って[[スペイン]]にもたらされた(逆輸入された)らしい。[[1583年]]になると、スペインでは猥褻性を理由に禁止されたが、同時代(例えば[[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]や[[ロペ・デ・ヴェガ]]ら)の文学作品にはしばしば言及されている。
17世紀初期には荒々しく急速だったが、後に遅く荘重なものになった。
 
後に[[アルマンド]]、[[クーラント]]、[[ジグ (音楽)|ジーグ]]と共に[[バロック音楽]]の[[組曲]]を構成する伝統基本的な楽章となった舞曲の一つである
 
19世紀末以降の近代音楽では、バロックを回顧する趣向・あるいは[[新古典主義音楽|新古典主義]]的な作風により復活した。[[エドヴァルド・グリーグ|グリーグ]]の『[[ホルベアの時代から]]』(1884・85年)、[[エリック・サティ|サティ]]の『3つのサラバンド』(1887年)、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の『ピアノのために』(1894-1901年)といった例がある。