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== 生涯 ==
寛文8年(1668年)11月伊予松山藩家老奥平貞守の子として松山に生まれる。[[貞享]]元年([[1685年]])父の隠居により[[家督]]と[[知行]]2500石を相続。[[元禄]]4年([[1691年]])[[江戸]]家老となる。元禄7年([[1694年]])[[幕府]]より、藩主[[松平定直]]が[[江戸城]]西ノ丸普請の助役を命ぜられ、その惣奉行を務める。元禄12年([[1699年]])500石の加増を受ける。宝永2年([[1705年]])将軍世子[[徳川家宣]]の[[権大納言]]昇進のため、[[名代]]の御使となった定直の共をして上京、宮中参内に供奉する。宝永7年(1710年)地理誌『予陽郡郷俚諺集』を編纂する。
 
同年10月6日死去。享年43。家督は養子の貞継が相続した。