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CXCV (会話 | 投稿記録)
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== 経歴 ==
南安恵王[[拓跋楨]]の次男として生まれた。章武王[[拓跋太洛]]の後嗣となり、章武王の爵位を嗣いだ。勇敢で体格がよく、軍事の才能があった。使持節・都督東秦豳夏三州諸軍事・鎮西大将軍・西戎校尉・統万鎮都大将・[[夏州]][[刺史]]として出向した。[[489年]]([[太和 (北魏)|太和]]13年)、収賄の罪で削封された。吐京胡が叛くと、元彬は命を受けて持節・仮平北将軍・行[[汾州]]事となり、[[并州]]と[[肆州]]の兵を率いて吐京胡を討った。吐京胡の乱が平定されると、征虜将軍・汾州刺史に任じられた。胡民の去居ら600人あまりが反乱を起こしたとき、彬は兵2万の応援を求め、中央の官吏はこれを許可するよう上奏した。[[孝文帝]]は激怒して、「どこに中央の兵馬を動かす理由があるのか。もし現地で収拾することができないなら、まずは刺史を斬ってから、その後に兵を出立させよう」と詔を下した。彬は孝文帝の詔を受けて大いに恐れ、州兵を率い、自ら将士の先頭に立って、胡民の反乱を討ち平らげた。[[499年]](太和23年)5月2日、死去した。享年は36。[[諡]]は恭といった。
 
== 子女 ==
* [[元融]]
* [[元凝]]
* 元湛(字は鎮興、尚書左司郎中、廷尉少卿、[[河陰の変]]で殺害された)
* 元晏(字は俊興、秘書丞)
 
== 伝記資料 ==
* 『[[魏書]]』巻19下 列伝第7下
* 『[[北史]]』巻18 列伝第6
* 持節征虜将軍汾州刺史彬墓誌(元彬墓誌)
 
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