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'''宮中'''(きゅうちゅう)とは、[[皇居]]の中のこと。後に[[政府]]の中を意味する'''[[府中]]'''が[[国政]]そのものを意味するようになったのに対して、宮廷の[[事務]]・[[皇室]]の[[家政]]を意味するようになった。
 
== 戦前期の日本における「宮中」 ==
[[戦前]]の[[日本]]における[[天皇]]は[[国家]]の最高[[統治]]者であるとともに[[国家神道]]の最高[[祭司]]でもあり、[[皇族]]の[[家長]]でもあった。そのため、[[宮内省]]([[宮内大臣]])、[[内大臣府]]([[内大臣]])、[[元老]]・[[重臣]]、[[侍従長]]、[[侍従武官長]]・[[枢密顧問官]]などといった天皇の日常及び各職務の遂行のために必要な[[組織 (社会科学)|組織]]・人員が置かれていたが、[[大日本帝国憲法]]において天皇の[[親裁権]]の確立と宮中と府中の分離という原則が並立していた。だが、一方で天皇が有していた[[天皇大権]]の大きさを背景として、国政の重要問題に関して天皇による調整が期待されるようになると、宮中側の人々も天皇制の維持・強化の方向において[[政治]]的な問題にも関与するようになった。特に[[昭和期]]には彼らは「'''宮中グループ'''」もしくは「'''宮廷グループ'''」と呼ばれ、[[日本軍|軍部]]や[[官僚]]などの諸勢力と結びついて国政の動向に重要な影響を与えるようになった。だが、宮中グループも標的とされた[[二・二六事件]]以後は強大化する軍部の力を府中・宮中ともに抑制することが出来なくなったために、彼らと妥協もしくは積極的に加担することで自らの[[地位]]を保持するようになっていった。[[近衛文麿]]や[[木戸幸一]]はその代表的人物とされる。[[戦後]]、天皇から国政の実質的権限が剥奪され、国家神道も解体されたことにより、[[日本国憲法]]が認めた[[国事行為]]を行うのに必要な最低限必要な組織として[[宮内府]]→[[宮内庁]]が設置された。
 
== 参考文献 ==