「スルト (リビア)」の版間の差分

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カッザーフィーが[[1969年]]のクーデターにより権力を握ると、カッザーフィーは自らの親族や出身部族のカッザーファ部族から積極的に登用を行ったため、スルトはカッザーフィー政権の強固な支持基盤となった。カッザーフィーの根拠地であると同時にトリポリタニアに属するとはいえ中心からは遠く離れており、リビアを構成するトリポリタニア・[[キレナイカ]]・フェザーンの三地方からほぼ等距離にあるため、テント型の巨大な国際会議場ワガドゥグー・コンベンションセンターが建設され、行政機関や全国人民会議(国会に相当)等がこの町に移されるようになった。[[2007年]]10月には[[ダルフール紛争]]の講和会議がスルトで開催された<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7064684.stm "Sudan calls Darfur truce at talks"], BBC News, 27 October 2007</ref>。
 
[[2011年リビア内戦]]においては、スルトはカッザーフィー支持の姿勢を打ち出し、市民蜂起は起こっていなかったらず<ref>BBC News (24 February 2011) [http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-12570279 "Libya protests: 'Gaddafi says Bin Laden to blame'"]</ref>、8月23日に首都トリポリが陥落しカッザーフィー政権が事実上崩壊した後も、勝利した[[リビア国民評議会]](反カッザーフィー派)への抵抗が続いていたが、2011年10月20日、リビア国民評議会がスルトを制圧すると同時に、カッザーフィーを拘束(後に死亡)したことにより、内戦は幕を降ろすこととなった<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-23739620111021 リビア国民評議会が「解放宣言」へ、国民に結束呼び掛け] ロイター・ジャパン 2011年10月21日閲覧</ref>。
 
現在内戦は一応の終結を見たものの、スルトはリビア内戦で最大の激戦地となった事に加え、カッザーフィーを支持した事から新政府による復興支援の優先度は高いとは言えず、
トリポリ陥落後も、スルトでは勝利した[[リビア国民評議会]](反カッザーフィー派)への抵抗が続いていたが、2011年10月20日、リビア国民評議会がスルトを制圧すると同時に、カッザーフィーを拘束(後に死亡)したことにより、内戦は幕を降ろすこととなった<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-23739620111021 リビア国民評議会が「解放宣言」へ、国民に結束呼び掛け] ロイター・ジャパン 2011年10月21日閲覧</ref>。
復興は進んでいない状況である。
 
== 脚注 ==