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'''リーフ地方'''(Rif)は、[[モロッコ]]北部の地方。山がちな地形であるが、いくつかの肥沃な谷も持っている。リーフ地方は、西は[[タンジェ]]及びスパルテル岬まで、東はラス・ケブナダ及びムルヤ川まで、北は[[地中海]]に面し、南はWergha川までの山岳地帯をさす。南部スペインのBaetic山地から、[[ジブラルタル海峡]]をはさんでほぼ山地が連続している。リーフ山地は、[[アトラス山脈]]には属していない。リーフの主要都市としては、タンジェ、[[テトゥアン]]、[[アル・ホセイマ]]、[[タザ]]などがある。リーフ地方はモロッコで最も降水量の多い地域であるため緑が濃く、また[[ベルベル人]]の村も点在している<ref>「週刊朝日百科世界の地理98 モロッコ・モーリタニア・西サハラ」p10-221 昭和60年9月8日発行 [[朝日新聞社]]</ref>。
 
==歴史==
リーフには有史以前よりベルベル人が住んでいたとされる。[[紀元前11世紀]]には早くも[[フェニキア人]]がやってきて交易を開始し、テトゥアン、[[メリリャ]]、タンジェといった街を建設した。やがてフェニキア人のうちから[[カルタゴ]]が強大となってこの地域を支配するようになり、[[第3次ポエニ戦争]]後にリーフは[[ローマ共和国]]の領土となり、[[属州マウレタニア属州]]に属するようになった。[[ローマ帝国]]に入ると、[[クラウディウス]]の時代にタンジェがMauretania Tingitanaの首都となった。[[5世紀]]には[[ヴァンダル王国]]に占領されてローマの時代は終わった。[[6世紀]]にはヴァンダルを滅ぼした[[ビザンツ帝国]]の支配下となった。
 
[[710年]]、Salih I ibn Mansurがネコル王国を建ててこの地域で自立し、この地域のベルベル人をイスラム化した。15世紀には対岸の[[スペイン]]の[[アンダルシア]]地方から多くの[[ムーア人]]が追放されてリーフに定住し、[[アンダルシア]]音楽をはじめとする新しい文化をこの地にもたらした。一方で、[[1492年]]にアンダルシアの[[ナスル朝]]を滅ぼしたスペインと[[ポルトガル]]は海を渡りこの地方にも侵攻し、[[1415年]]にはポルトガルが[[セウタ]]を、1490年にはスペインが[[メリリャ]]を占領した。その後は平和が続いたものの、[[1859年]]には[[テトゥアン]]でスペインとモロッコの衝突がおき、モロッコが敗北した。やがてこの地方はスペイン領となり、[[スペイン領モロッコ]]が成立したものの、これに反対するベルベル人は3度の反乱を起こした。特に規模の大きかった[[1921年]]の[[第三次リーフ戦争]]では、[[アブド・エル・クリム]]に率いられたベルベル人が[[アンワールの戦い]]において[[スペイン軍]]を撃破し、[[リーフ共和国]]が建国されたものの、やがてスペインによって鎮圧され、アブド・エル・クリムは[[レユニオン]]へと流された。やがて[[1956年]]、この地域は南のフランス領モロッコとともにモロッコとして独立した。
 
==脚注==
<references/>
 
[[Category:モロッコ]]
{{デフォルトソート:りふ}}
[[Category:モロッコの地理]]
 
[[af:Rif (Atlasgebergte)]]