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'''レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家のプリンセス・アン'''(Princess Anne of Löwenstein-Wertheim-Freudenberg、ドイツ語表記: Anne Prinzessin zu Löwenstein-Wertheim-Freudenberg、旧姓 Anne Savile、[[1864年]][[5月25日]] - [[1927年]][[8月31日]])は、[[ドイツ帝国]]の[[レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家]]の公子ルートヴィヒの妃で、[[パイロット]]の[[パトロン]]となった。最初の[[大西洋]]無着陸横断飛行に成功する女性となることをめざして、1927年に[[イギリス]]から出発した飛行機に同乗したが、飛行機とともに行方不明となった。
[[ロンドン]]に生まれた。父親は第4代メクスバラ伯爵
1914年から乗客として飛行機に乗るようになった。結婚する前の名前'''アン・セーヴィル'''で、航空レースに参加した。1922年に自らの購入した航空機に同乗して、[[クロイドン]]から[[エディンバラ]]の間で行われたレースに参加した。[[第一次世界大戦]]の撃墜王の[[レスリー・ハミルトン]]と親しくなり、1923年のキングズ・カップにハミルトンの操縦で参加した。1925年には、ロンドンから[[パリ]]に向かったハミルトンとアンの乗った飛行機が行方不明となり、夜を徹した捜索の結果、パリ近郊でエンジン・トラブルのため不時着していたのが発見された。
1927年、ヨーロッパから[[カナダ]]への大西洋無着陸逆横断を目指すハミルトンに資金を提供した。親族の反対を押し切って、大西洋を最初に横断した女性の名誉を
セント・ラファエルは、[[アイルランド]]の海岸から西に向かって飛行し、USS ジョシア・アメイシーの乗組員によって目撃したのが最後となった。飛行中に[[ラブラドール地方|ラブラドール]]の海岸のすべての無線所はセント・ラファエルからの通信を受け取ることはできず、飛行機は行方不明となった。捜索がおこなわれたが飛行機も乗組員も見つけることはできなかった<ref>United Press (5 September 1927), "Kin Abandon Hope: Brothers of Flying Princess Sure Sister Lost Life", The Pittsburgh Press</ref>。9月5日までに、最後の望みとなっていた、航海中の貨物船や漁船が墜落した飛行機の乗員を救出した可能性もなくなった。9月5日に、アンの親族は、アンと他の乗員は生存の可能性はなくなったと発表した。
1928年に[[オンタリオ州]]測量局長は、「セント・ラファエル」の乗り組んだ人々の名を記念して、北西部の湖に、セント・ラファエル湖、ハミルトン湖、ミンチン湖、ヴェルトハイム湖の名前をつけた <ref>Ontario Ministry of Natural Resources (2007). "St. Raphael Signature Site Strategy". Toronto</ref>。
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