「立石流四間飛車」の版間の差分
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Londonbashi (会話 | 投稿記録) 『消えた戦法の謎』を参考に加筆。コバケン先生の本も持っていたはずですがすぐには見つからなかったので後日にでも・・・。 |
棋譜を訂正 |
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==内容==
[[先手]]番から見て▲6八飛と四間飛車
序盤から[[大駒]]が大きく働くが
▲飛車は6八から6六飛→7六飛と移動し、最終的には[[石田流]]に落ち着くことが多い<ref>従来の石田流は[[三間飛車]]からの派生で生じるものであり、飛車は7八飛→ 7六飛と移動するものであった。このため立石流の手順を「石田流第二のルート」と評することもある。</ref>。
居飛車穴熊対策として注目され、多くの[[振り飛車]]党の棋士に愛好された。特に「スーパー四間飛車」で知られた[[小林健二]]は
▲序盤から[[大駒]]が大きく働くが相手にいつでも[[角行|角]]交換されるため、立石流側は自陣の[[金将|金]][[銀将|銀]]が分裂するが、特に[[居飛車穴熊]]を志向している場合などは、居飛車側の陣形の金銀が一方に偏っていることが多いため、居飛車の陣形が整わない隙に飛車交換に持ち込めば互角以上の勝負となる。
▲居飛車穴熊対策として注目され、多くの[[振り飛車]]党の棋士に愛好された。特に「スーパー四間飛車」で知られた[[小林健二]]は、自己の研究を加え「スーパー立石流」と称し、[[1995年]]の[[早指し選手権]]で優勝を果たすという結果を残した。
▲金を一段金のままで駒組みをすすめるなど、居飛車側の対策が進んだため、プロ棋界では立石流がみられることは次第に稀となっていった。
==関連項目==
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