「金策市」の版間の差分

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m 降格の年月日
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=== 近代 ===
[[1898年]]、[[咸鏡北道]][[吉州郡]]の城津鎮周辺および[[咸鏡南道]][[端川市|端川郡]]の一部をあわせ、'''城津郡'''が設置された。[[1899年]]4月、開港にともない城津府が置かれたが、その後吉州郡に統合され、行政区域としては安定しなかった。1903年に吉州郡から城津郡が分割・再設置、1906年に城津府に昇格、1909した。城津府は191010月1日に城津郡に降格され<ref>明治43年10月1日朝鮮総督府令第7号による。『朝鮮総督府官報』第29号p. 14(明治43年10月1日)参照。</ref>。1910年時点で、鶴上・鶴南・鶴中・鶴西・鶴東の5面が存在した。1920年、港や駅を中心とする地域に城津面が新設された。
 
[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下]]において、1930年代後半以降重工業化が進められ、[[1937年]]には[[日本高周波重工業城津製鉄所]]が操業を開始した。1939年には城津面が邑に昇格、1943年には城津邑が'''城津府'''に昇格した。城津府が成立して郡を離脱するのにともない、旧城津郡は'''鶴城郡'''に改名した。
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* [[日本気象協会]]の天気図用紙には、他の朝鮮半島の地名は近年すべて朝鮮語読みに変更されたにも関わらず、当地は「ジョーシン」と旧称の日本語読みで記載されている。
* [[金策製鉄所]]と[[金策航空大学]]は金策市ではなく[[清津市]]に、[[金策工業総合大学]]も同じく[[平壌|平壌市]]に所在する。
 
== 注 ==
<references />
 
== 外部リンク ==