「レオニド・アンドレーエフ」の版間の差分

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m 『血笑記』翻訳が1808年になっていたのを1908年に修正
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1917年の革命後は[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[フィンランド]]へ逃れフィンランドで没した。
 
日本では1906年に『旅行』を[[上田敏]]が翻訳したのをかわきりに、18081908年に[[二葉亭四迷]]が『血笑記』を翻訳、1909年になって多くの作品が翻訳された。日本滞在中の[[魯迅]]も翻訳小説集『域外小説集』に三篇のアンドレーエフの小説を収録した。[[夏目漱石]]も[[小宮豊隆]]と独訳本でアンドレーエフの小説の購読を行い『それから』で主人公にアンドレーエフの『七刑人』を読書する場面を描いた。<ref>『ロシアの影 夏目漱石と魯迅』[[藤井省三]]、[[平凡社]]選書 1985年</ref>
 
==脚注==