「田尾和俊」の版間の差分

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* 1980年代、編集長を務めていたタウン情報誌の一コーナー「[[笑いの文化人講座]]」が注目を集め、[[嘉門達夫]]の替え歌シリーズにも投稿作品がいくつか使われた。(マハリクマハリタ ヤンバルクイナ 等)
* また、同誌主催のイベントでは、企画のみならず、司会進行を自ら務めた。
*連載「笑いの文化人講座」は、タウン情報誌発刊から退社まで一貫して執筆。方言を満載した文章や実体験から拾ってくる笑いネタ投稿、そのツッコミが若者からの絶大な支持を受けた。
* 同コーナーから派生した[[西日本放送]]のラジオ番組「[[そんなわけ、ねーだろ!]]」は、若年層聴取率で「[[オールナイトニッポン]]」等、全国ネットで放送されていた人気番組を押さえて1位になり、伝説の番組と呼ばれている。また、当時発行されていた雑誌「[[ラジオパラダイス]]」([[三才ブックス]])で行われていた「DJ・パーソナリティー人気投票」でも、田尾自身が上位にランクインした事もある。<!-- この記述は執筆者の主観なのでは? (のちに出演したテレビ番組で「僕の原点はやっぱりラジオです」と発言している。本人は照れて「あれは社交辞令です。信用しないで」とゲスト出演したラジオ番組で語っていたが、やっぱり本心は「原点はラジオ」と思っているに違いない。)-->
*1999年から2009年3月まで、[[瀬戸内海放送]]の「[[KSBスーパーJチャンネル]]」に週一回、金曜日のコメンテーターとして出演。当初KSBは、「Jチャン」の前身にあたる、当時夕方に放送されていたニュース番組(「[[KSBステーションEYE]]」)のキャスターを打診したが、田尾の本業のスケジュールとの都合からコメンテーターとしての出演となった。