「阿比留草文字」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 追加
m リンク
35行目:
諦忍が[[1776年]]([[安永]]5年)に著した『神国神字弁論』では、[[鶴岡八幡宮]]などに伝わる文字としている。また平田篤胤が[[1819年]]([[文政]]2年)に著した『神字日文伝』では、鶴岡八幡宮のほかに[[鹿島神宮]]、[[大神神社]]、[[法隆寺]]、[[出雲大社]]など各地の寺社に伝えられるとしている。
 
阿比留草文字は各地の神社において[[神体|神璽]]や守符に用いられている。[[阿伎留神社]]には神符の発行に用いられた阿比留草文字の版木が残されている。また[[伊勢神宮]]には神代文字によって記された多数の奉納文があり、その中で最も多く用いられている文字は阿比留草文字である。
 
『美社神字解』(うるわしのもりしんじかい)や『かむことのよそあり』に採録される「[[大祓詞]]」(おおはらえのことば)といった史料では、異なる神代文字である[[阿波文字]]との混ぜ書きが用いられている。