「2000年問題」の版間の差分

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というルールがあり、このため2000年は[[閏年]]だったが、誤って1と2のみを適用し、閏年としなかったプログラムが存在したため、この対応も併せて必要とされた。
 
コンピュータの黎明期は、[[計算資源|リソース]](特に[[半導体メモリ|メモリ]]関係)の費用負担が重く、出来るだけメモリを節約するプログラムが要求され、年号を下二桁で表すことによりリソースを節約をするのは、当時の[[プログラマ]]の間では当然のテクニックであり、[[ISO]]や[[JIS]]といった工業規格でも推奨されていた{{要出典|date=2011年9月}}。また[[パンチカード]]システム([[タビュレーティングマシン]])においては、年数の下二桁表示が当たり前{{要出典|date=2011年9月}}であり、それをそのまま継承したという一面もあった。そのようなプログラムの多くは[[1960年代]]から[[1980年代]]頃に開発され、当事者は「2000年までには、何らかの改良が加えられるか、全く新しいプログラムが運用されるだろう」との前提でいたため、特にこの問題に対する対策を施していない場合が多かった。2000年問題が表面化した際は、プログラムを作成した技術者の退職などもあり、手作業でのプログラムの確認と修正が必要になった場合も多い。
 
これらのプログラムが作成された時点で既に、多くの国で様々な領域や分野でコンピューターが使用されていたため、思わぬところでの機能停止の危険があり得ることが指摘されていた。これらの問題により、[[物流]]やその他の社会運営上の不具合の発生などが予想され、国際経済が深刻な[[不況]]に陥る可能性を指摘する声もあった。一部には、[[カレンダー]]を持たず2000年問題の影響を受けない独立した[[組み込みシステム]]の誤動作の不安を煽る、あたかも[[フェイルセーフ]]で設計されたものがこの世にないかのように騒ぐ、などの過剰反応も見られた。
 
== 事前対策 ==