「下野国」の版間の差分

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→‎近代以降の沿革: 群馬県の先行発足
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[[和銅]]6年([[713年]])に施行された諸国郡郷名著好字令によって、全国の国名が漢字2文字に統一された。その際、下毛野国(下つ毛の国)から'''下野国'''となった。「下毛」ではなく「下野」となったが、読みは「しものくに」とはならず「しもつけのくに」のままである。
 
=== 下毛野君と下毛野一族 ===
[[国府]]は、都賀郡(都加郡)にあった(『[[和名抄]]』)。昭和51年([[1976年]])から調査が始まり、4年目に現在の[[栃木市]]田村町の宮目(みやのめ)神社周辺で政庁跡とされる遺跡が発見された。この調査の結果、政庁は約90メートル四方の範囲を塀によって区画されていたと推定されている。
[[六国史]]([[記紀]])[[日本書紀]]によると、[[下野国]]の[[国造]]である[[下毛野君]]は[[紀元前50年]]([[崇神天皇]]48年)に[[崇神天皇]]の命により東国を統治した[[豊城入彦命]]の子孫とされる。[[684年]]([[天武天皇]]13年)に[[朝臣]]の[[カバネ|姓]]を受けた下毛野君は、[[大宝律令]]編纂の中心人物のひとりで[[参議]]に列せられ直廣肆、[[兵部卿]]、[[式部卿]]、[[造山陵司]]、[[大将軍]]を歴任した[[下毛野古麻呂]]を輩出したほか、征夷副将軍[[下毛野石代]]、[[遠江国|遠江守]][[下毛野多具比]]、[[外衛少将]][[下毛野足麻呂]]、[[下野守]][[下毛野根麻呂]]、[[備中国|備中介]][[下毛野年継]]、[[信濃国|信濃介]][[下毛野文継]]などが中央政庁でも活躍した。その一方で、[[越前国]]や[[陸奥国]]、下野国の住人とされる吉弥侯根麻呂や吉弥侯部廣國、吉弥侯部念丸、大麻続部総持、大麻続部嗣吉等に下毛野公や下毛野静戸公、下毛野俯見公などの姓が授けられ、さらにこうした下毛野公の中にも下毛野公田主のように朝臣姓が賜姓される人物が出現している。その後、[[毛野氏|下毛野氏]]は歴史の表舞台からは遠ざかるが、一説に[[金太郎]]のモデルとされる下毛野公時は、[[藤原道長]]の[[随身]]として仕えている。
 
=== 近代以降の沿革下野薬師寺と道鏡 ===
[[六国史]][[続日本紀]]には[[薬師寺 (下野市)|下野薬師寺]]について幾条かの記述がある。
* 「旧高旧領取調帳」に記載されている[[明治]]初年時点での国内の支配は以下の通り。[[天領|幕府領]]は真岡代官所が管轄。'''太字'''は当該郡内に[[藩庁]]が所在。国名のあるものは[[飛地]]領。
 
** [[那須郡]] - [[天領|幕府領]]、[[地方知行|旗本領]]、'''[[烏山藩]]'''、'''[[黒羽藩]]'''、'''[[大田原藩]]'''、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]
=== 奈良時代から平安時代中期の下野国府、国勢 ===
** [[塩谷郡]] - 幕府領、旗本領、[[一橋徳川家]]、[[宇都宮藩]]、大田原藩、'''[[高徳藩]]'''、'''[[喜連川藩]]'''、[[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]、[[下総国|下総]][[佐倉藩]]、日光領
[[倭名類聚抄]]によると、本書が編纂された[[平安時代]]中期、[[承平]]年間([[930年]]代前半)において[[下野国庁跡|下野国の国府]]は[[都賀郡(都加郡)]]あっ置かれてい(『とされている。その所在地は江戸期までは[[國府村]]という地に残されていたとされるが、現在その推定所在地([[栃木市]]田村町宮ノ辺の地名に「国府」の名残は無い下野国庁跡の調査は[[昭和]]51年([[1976年]])から調査が始まり、4年目に現在の[[栃木市]]田村町の宮目(みやのめ)神社周辺で政庁跡とされる遺跡が発見された。この調査の結果、政庁は約90メートル四方の範囲を塀によって区画され、[[8世紀]]前半から[[10世紀]]初期まで機能していたと推定されている。
** [[芳賀郡]] - 幕府領、旗本領、一橋徳川家、宇都宮藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、[[吹上藩]]、喜連川藩、常陸[[谷田部藩]]、下総[[結城藩]]
 
** [[河内郡 (栃木県)|河内郡]] - 幕府領、旗本領、'''宇都宮藩'''、高徳藩、吹上藩、[[出羽国|出羽]][[久保田藩]]、下総[[関宿藩]]、下総[[多胡藩]]、日光領
[[延喜式]]が編纂された[[平安時代]]中期、[[延喜]]5年([[905年]])時点の下野国の格式は[[上国]]、[[遠国]]であるが、[[六国史]]([[記紀]])[[日本三代実録]]には[[准大国]]、[[準大国]]とある。
** [[都賀郡]] - 幕府領、旗本領、宇都宮藩、'''[[壬生藩]]'''、足利藩、大田原藩、高徳藩、'''吹上藩'''、喜連川藩、出羽久保田藩、[[上野国|上野]][[館林藩]]、常陸下妻藩、下総[[古河藩]]、下総結城藩、下総[[関宿藩]]、下総佐倉藩、下総多胡藩、[[武蔵国|武蔵]][[六浦藩|金沢藩]]、[[対馬府中藩]]、日光領
** [[寒川郡 (下野国)|寒川郡]] - 幕府領、旗本領、下総古河藩
** [[安蘇郡]] - 幕府領、旗本領、'''[[佐野藩]]'''、上野[[前橋藩]]、上野館林藩、下総古河藩、武蔵金沢藩、[[近江国|近江]][[彦根藩]]、対馬府中藩、[[三河国|三河]][[西端藩]]、[[土佐国|土佐]][[高知新田藩]]、日光領
** [[足利郡]] - 幕府領、旗本領、'''[[足利藩]]'''、上野前橋藩、下総古河藩、[[美濃国|美濃]][[高富藩]]、[[河内国|河内]][[丹南藩]]
** [[梁田郡]] - 旗本領、足利藩、下総古河藩、美濃高富藩
* [[1868年]]([[慶応]]4年)
** [[6月4日 (旧暦)|6月4日]] - [[佐賀藩|佐賀]][[藩士]]の鍋島道太郎が'''[[真岡知県事]]'''に就任。幕府領・旗本領を管轄。
** 8月 - [[日光奉行]]が管轄する日光領を収公。
* 1868年(明治元年)[[12月7日 (旧暦)|12月7日]] - 会津藩が[[改易]]となり、領地が真岡知県事の管轄となる。
* [[1869年]](明治2年)
** [[2月15日 (旧暦)|2月15日]] - 真岡知県事が'''[[日光県]]'''に改称。
** [[6月23日 (旧暦)|6月23日]] - 金沢藩が任知藩事にともない'''[[六浦藩]]'''に改称。
** [[8月7日 (旧暦)|8月7日]] - 府中藩が任知藩事にともない'''[[厳原藩]]'''に改称。
* 明治初年
** 足利藩の領地替えにより、都賀郡・足利郡の一部の領地が日光県の管轄、足利郡の幕府領・旗本領の各一部および梁田郡の旗本領の一部が足利藩の管轄となる。
** 館林藩の領地替えにより、都賀郡および安蘇郡の一部の領地が日光県の管轄、梁田郡のほぼ全域が館林藩の管轄となる。
** 前橋藩の領地替えにより、安蘇郡の領地の一部が日光県の管轄となる。
** 古河藩の領地替えにより、都賀郡の旗本領の一部が古河藩の管轄となる。
** 高知新田藩の領地替えにより、安蘇郡の飛地領が日光県の管轄となる。
** 厳原藩の領地替えにより、都賀郡・安蘇郡の飛地領が日光県の管轄となる。
* [[1870年]](明治3年)
** [[3月19日 (旧暦)|3月19日]] - 高徳藩が[[転封]]となり、領地を日光県に編入。
** [[7月17日 (旧暦)|7月17日]] - 喜連川藩が廃藩となり、領地を日光県に編入。
* [[1871年]](明治4年)
** [[1月13日 (旧暦)|1月13日]] - 久保田藩が'''[[秋田藩]]'''に改称。
** [[2月8日 (旧暦)|2月8日]] - 谷田部藩が藩庁を移転して'''[[茂木藩]]'''となる。
** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]] - [[廃藩置県]]により藩領が'''[[宇都宮県]]'''、'''[[烏山県]]'''、'''[[壬生県]]'''、'''[[黒羽県]]'''、'''[[茂木県]]'''、'''[[佐野県]]'''、'''[[大田原県]]'''、'''[[足利県]]'''、'''[[吹上県]]'''および[[秋田県]]、[[水戸県]]、[[前橋県]]、[[館林県]]、[[結城県]]、[[古河県]]、[[関宿県]]、[[佐倉県]]、[[六浦県]]、[[西端県]]、[[高富県]]、[[彦根県]]、[[丹南県]]の飛地となる。
** [[10月28日 (旧暦)|10月28日]] - 第1次府県統合により'''[[群馬県]]'''(第1次)が発足し、前橋県・館林県の飛地を管轄。
** [[11月14日 (旧暦)|11月14日]] - 第1次府県統合により、都賀郡・寒川郡・安蘇郡・足利郡・梁田郡が'''[[栃木県]]'''、那須郡・塩谷郡・芳賀郡・河内郡が'''[[宇都宮県]]'''の管轄となる。それぞれ[[栃木市|栃木町]]、[[宇都宮市|宇都宮]]連雀町に県庁を設置。
* [[1873年]](明治6年)[[6月15日]] - 宇都宮県が'''[[栃木県]]'''に合併。
* [[1959年]]([[昭和]]34年)[[1月1日]] - 足利郡[[菱村]]が[[群馬県]][[桐生市]]に編入([[越境合併]])。
* [[1968年]](昭和43年)[[4月1日]] - 安蘇郡[[田沼町]]の一部(大字飛駒の一部)が群馬県桐生市に編入(越境合併)。現在に至る。
 
=== 六国に見る下野国 ===
以下に、[[六国史]]([[記紀]])には[[古代]]から[[平安時代]]中期にかけての歴史が記されてい下野国下では以下のような出来事および下野国に所縁る事象を記すった
* [[紀元前50年]]([[崇神天皇]]48年)[[4月19日 (旧暦)]] ― 崇神天皇が[[豊城入彦命]]に東国を治めるよう命令する。この豊城入彦命が[[下毛野君]]の始祖となった。〔[[日本書紀]]〕
* [[676年]]([[天武天皇]]5年)[[5月7日 (旧暦)]] ― 下野国司は以下のように奏上した。「所部の百姓が凶年に遭い、飢えのため子を売ろうとしています。」しかし、朝廷はこれに取り合わなかった。〔日本書紀〕
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* [[882年]](元慶6年)[[12月13日 (旧暦)]] ― 下野国が[[連理樹]]が獲れた事を言上した。〔日本紀略〕
* [[885年]]([[仁和]]元年)[[2月10日 (旧暦)]] ― 下野国正五位上三和神が従四位下を奉授する。〔日本三代実録〕
 
=== 平安時代中期から中世の下野国 ===
[[天慶]]年間、[[平将門]]を討伐して下野守となった[[藤原秀郷]]は[[押領使]]を兼任し、子は都賀郡の[[小山城]]に居した。第12代[[小山朝政]]は下野国の大族である[[宇都宮朝綱]]、[[那須宗隆]]とともに[[源頼朝]]に従軍して功を挙げ、宗隆は那須一郡を賜り、朝綱子孫は宇都宮に居し小山氏と入れ代わりで下野守に任ぜられ、[[紀清両党]]はその傘下に隷属した。
 
=== 近代以降の沿革 ===
* 「旧高旧領取調帳」に記載されている[[明治]]初年時点での国内の支配は以下の通り。[[天領|幕府領]]は真岡代官所が管轄。'''太字'''は当該郡内に[[藩庁]]が所在。国名のあるものは[[飛地]]領。
** [[那須郡]] - [[天領|幕府領]]、[[地方知行|旗本領]]、'''[[烏山藩]]'''、'''[[黒羽藩]]'''、'''[[大田原藩]]'''、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]
** [[塩谷郡]] - 幕府領、旗本領、[[一橋徳川家]]、[[宇都宮藩]]、大田原藩、'''[[高徳藩]]'''、'''[[喜連川藩]]'''、[[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]、[[下総国|下総]][[佐倉藩]]、日光領
** [[芳賀郡]] - 幕府領、旗本領、一橋徳川家、宇都宮藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、[[吹上藩]]、喜連川藩、常陸[[谷田部藩]]、下総[[結城藩]]
** [[河内郡 (栃木県)|河内郡]] - 幕府領、旗本領、'''宇都宮藩'''、高徳藩、吹上藩、[[出羽国|出羽]][[久保田藩]]、下総[[関宿藩]]、下総[[多胡藩]]、日光領
** [[都賀郡]] - 幕府領、旗本領、宇都宮藩、'''[[壬生藩]]'''、足利藩、大田原藩、高徳藩、'''吹上藩'''、喜連川藩、出羽久保田藩、[[上野国|上野]][[館林藩]]、常陸下妻藩、下総[[古河藩]]、下総結城藩、下総[[関宿藩]]、下総佐倉藩、下総多胡藩、[[武蔵国|武蔵]][[六浦藩|金沢藩]]、[[対馬府中藩]]、日光領
** [[寒川郡 (下野国)|寒川郡]] - 幕府領、旗本領、下総古河藩
** [[安蘇郡]] - 幕府領、旗本領、'''[[佐野藩]]'''、上野[[前橋藩]]、上野館林藩、下総古河藩、武蔵金沢藩、[[近江国|近江]][[彦根藩]]、対馬府中藩、[[三河国|三河]][[西端藩]]、[[土佐国|土佐]][[高知新田藩]]、日光領
** [[足利郡]] - 幕府領、旗本領、'''[[足利藩]]'''、上野前橋藩、下総古河藩、[[美濃国|美濃]][[高富藩]]、[[河内国|河内]][[丹南藩]]
** [[梁田郡]] - 旗本領、足利藩、下総古河藩、美濃高富藩
* [[1868年]]([[慶応]]4年)
** [[6月4日 (旧暦)|6月4日]] - [[佐賀藩|佐賀]][[藩士]]の鍋島道太郎が'''[[真岡知県事]]'''に就任。幕府領・旗本領を管轄。
** 8月 - [[日光奉行]]が管轄する日光領を収公。
* 1868年(明治元年)[[12月7日 (旧暦)|12月7日]] - 会津藩が[[改易]]となり、領地が真岡知県事の管轄となる。
* [[1869年]](明治2年)
** [[2月15日 (旧暦)|2月15日]] - 真岡知県事が'''[[日光県]]'''に改称。
** [[6月23日 (旧暦)|6月23日]] - 金沢藩が任知藩事にともない'''[[六浦藩]]'''に改称。
** [[8月7日 (旧暦)|8月7日]] - 府中藩が任知藩事にともない'''[[厳原藩]]'''に改称。
* 明治初年
** 足利藩の領地替えにより、都賀郡・足利郡の一部の領地が日光県の管轄、足利郡の幕府領・旗本領の各一部および梁田郡の旗本領の一部が足利藩の管轄となる。
** 館林藩の領地替えにより、都賀郡および安蘇郡の一部の領地が日光県の管轄、梁田郡のほぼ全域が館林藩の管轄となる。
** 前橋藩の領地替えにより、安蘇郡の領地の一部が日光県の管轄となる。
** 古河藩の領地替えにより、都賀郡の旗本領の一部が古河藩の管轄となる。
** 高知新田藩の領地替えにより、安蘇郡の飛地領が日光県の管轄となる。
** 厳原藩の領地替えにより、都賀郡・安蘇郡の飛地領が日光県の管轄となる。
* [[1870年]](明治3年)
** [[3月19日 (旧暦)|3月19日]] - 高徳藩が[[転封]]となり、領地を日光県に編入。
** [[7月17日 (旧暦)|7月17日]] - 喜連川藩が廃藩となり、領地を日光県に編入。
* [[1871年]](明治4年)
** [[1月13日 (旧暦)|1月13日]] - 久保田藩が'''[[秋田藩]]'''に改称。
** [[2月8日 (旧暦)|2月8日]] - 谷田部藩が藩庁を移転して'''[[茂木藩]]'''となる。
** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]] - [[廃藩置県]]により藩領が'''[[宇都宮県]]'''、'''[[烏山県]]'''、'''[[壬生県]]'''、'''[[黒羽県]]'''、'''[[茂木県]]'''、'''[[佐野県]]'''、'''[[大田原県]]'''、'''[[足利県]]'''、'''[[吹上県]]'''および[[秋田県]]、[[水戸県]]、[[前橋県]]、[[館林県]]、[[結城県]]、[[古河県]]、[[関宿県]]、[[佐倉県]]、[[六浦県]]、[[西端県]]、[[高富県]]、[[彦根県]]、[[丹南県]]の飛地となる。
** [[10月28日 (旧暦)|10月28日]] - 第1次府県統合により'''[[群馬県]]'''(第1次)が発足し、前橋県・館林県の飛地を管轄。
** [[11月14日 (旧暦)|11月14日]] - 第1次府県統合により、都賀郡・寒川郡・安蘇郡・足利郡・梁田郡が'''[[栃木県]]'''、那須郡・塩谷郡・芳賀郡・河内郡が'''[[宇都宮県]]'''の管轄となる。それぞれ[[栃木市|栃木町]]、[[宇都宮市|宇都宮]]連雀町に県庁を設置。
* [[1873年]](明治6年)[[6月15日]] - 宇都宮県が'''[[栃木県]]'''に合併。
* [[1959年]]([[昭和]]34年)[[1月1日]] - 足利郡[[菱村]]が[[群馬県]][[桐生市]]に編入([[越境合併]])。
* [[1968年]](昭和43年)[[4月1日]] - 安蘇郡[[田沼町]]の一部(大字飛駒の一部)が群馬県桐生市に編入(越境合併)。現在に至る。
 
==国分寺・国分尼寺・一宮・総社など==
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* [[藤原三藤]]([[860年]]〈[[貞観 (日本)|貞観]]2年〉[[11月27日 (旧暦)]]) 従五位上 [[陰陽頭]]
* [[基棟王]](権守:[[861年]]〈貞観3年〉[[1月23日 (旧暦)]]) 散位従四位上
* [[伴河男棟氏王]]([[863(861]]〈貞観53年〉1月 ~ [[863年]][[211023日 (旧暦)]]) 従五散位從四位下
* [[伴河男]](863年〈貞観5年〉[[2月10日 (旧暦)]]) 従五位下
* [[棟貞王]]([[864年]]〈貞観6年〉[[1月16日 (旧暦)]]) 従四位下
* [[橘忠宗]]([[865年]]〈貞観7年〉[[1月17日 (旧暦)]]) 従五位下 [[治部少輔]]