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== 略歴 ==
=== 生い立ち ===
[[大阪市]][[浪速区]][[大国町駅]]周辺<ref name="kobukobu">毎日放送「ごぶごぶ」(2007(2007年2月23日放送)内での本人の発言{{出典無効|date=2011年9月}}</ref>に、[[日本万国博覧会|大阪万博]]にて[[ソビエト連邦|ソ連]]館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤める父・憲五郎、母・信子の間に生まれ、幼稚園へあがる頃に[[尼崎市]]へ移る。尼崎市では小学5年に憲五郎がペンキ屋を独立開業しているが、家族で[[芦屋市|芦屋]]にも住んでいたこともある<ref name="kobukobu"/>。憲五郎と[[ヒロミ]](B21)の父とは、[[鹿児島]]時代の同級生であり<ref>『ガキの使いやあらへんで!』(2010年10月25日放送)内での本人の発言</ref>、2人とも就職のため鹿児島を後にしている。高須とは幼稚園時代からの付き合いであり、小学校へ転校してきたというのは松本の作り話である。親や兄([[松本隆博]])がたびたびテレビなどに出演する松本人志とは対照的に、浜田の両親や妹の出演はこれまでにない。
 
住んでいたアパートの老朽化が著しかったために浜田家の上の階の床が抜け、天井から上階に住む韓国人の中年婦人が幼い浜田を抱く母親の肩をかすめて落ちてきたこともあるという。ただし、浜田は貧しかったことを認めながらも、「大阪万博までは羽振りが良かった。それからや、[[ヤクザ]]の取立てが家に来るようになったんや」と、生まれたときから貧乏ではなかったと語っている<ref>『放送室』2004年2月19日放送分の武道館Liveでの本人の発言による</ref>。
 
[[三重県]]にある[[日生学園]]に入学し、2年次に移動した全寮制の[[日生学園第二高等学校]]を卒業。在学時は学校の便器を素手で掃除させられるなどの厳しい環境を苦に白光寮を逃げ出し、松本や友達の家に転がり込むことも度々たびたびであった<ref>『[[徹子の部屋]]』</ref>。同校の後輩に[[今田耕司]]がいる。高校卒業後の目標は特になかったため、父親の提案で[[競艇]]選手の試験を受けたが落第している。
 
=== 吉本入り ===
[[1982年]]、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って[[吉本興業]]入り。同社の若手タレント養成所「[[吉本総合芸能学院]](NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、現在のコンビ名「ダウンタウン」になった。
 
デビュー当時はそのふてぶてしい態度から先輩達から忌み嫌われる存在(浜田に関してはよく先輩から奇妙な愛情でいじられていたらしい)であったものの、『[[4時ですよーだ]]』([[毎日放送]])で関西地区での人気を不動のものにする。ほどなくして上京、『[[夢で逢えたら (テレビ番組)|夢で逢えたら]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])などで人気を博し、[[全国区]]タレントとして広く名を知られるようになる。[[1990年]]前後には[[ウッチャンナンチャン]]・[[とんねるず]]・[[B21スペシャル]]らと共に「[[お笑い第三世代]]」として一大ブームを巻き起こした。その後、お笑いのみの活動にとどまらず、[[俳優]]、[[声優]]、[[歌手]]活動も精力的に行っている。現在ではピンでの司会業が増えている。
 
== 芸風 ==
[[ツッコミ]]のパターンは頭をはたく、[[デコピン]]、[[ゲンコツ]]、[[回し蹴り]]、[[かかと落とし]]、[[頭突き]]、[[ビンタ]]、尻を蹴る、額を指4本で突く、ほっぺに噛み付き、鼻に指を突っ込む、前肩と後頭部を同時に叩く、[[アッパーカット]]など様々なバリエーションがあり、際だってメリハリのあるツッコミが松本のシュールなボケと対照を成す。松本や[[フットボールアワー]]の[[後藤輝基]]によると、どれも痛いが、ただ、「はたく」は音だけで痛みはさほどないという。豊富な突っ込みパターンのため、視聴者から「突っ込みのパターンは13個あるのか?」という質問が来たことがある。額を指4本で突くツッコミは松本がリーゼントだったころ、髪が崩れないようにとの配慮からこの突っ込みを多用していたと語っている。
 
また、ビンタの威力は強烈で「受けた直後に真っぐ歩けなくなる」「物が白黒に見える」「味覚障害になる(甘いと酸っぱいは判別できるが甘酸っぱいは分からなくなる)」などと例えられている。松本は「浜田のビンタは小熊(あるいは小ゴリラ)ぐらいの威力」と言っている。
 
先輩でも臆することなく容赦なしにドツいたり、[[タメ口]]をきいたり、呼び捨てにしたりしてツッコミを入れる。大御所俳優などに対してもこのようにストレートな発言をぶつけて笑いを取る才能は、松本や[[島田紳助]]などから「自分にはない」として高く評価されている。ただし、松本は27時間テレビで[[明石家さんま]]と共演した際、さんまにタメ口で接する浜田に「先輩やぞ!敬語使え」と連呼している。[[志村けん]]も「俺でも[[いかりや長介|いかりや]]さんの頭を叩くのに何十年もかかった」「俺が頭をたたかせるのは今じゃオマエ(浜田)だけ」と評価している。もちろん無礼な行動であるので、浜田に対して悪い印象を持つ者も多い。志村の周囲は「あいつだけは絶対許せない。今度会ったらぶっ飛ばす」と発言しており、その際には志村が「違うんだよ、彼は本番ではああいうキャラで売ってるんだけど、裏ではちゃんと礼儀正しいし、あいさつするし、すごいイイやつなんだよ」と宥めている。志村は、ある番組<ref>『[[史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ | 第三回 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ]]』([[2007年]]1月4日放送)内での志村による発言</ref>において「俺が好きなやつには、叩かれてもいい」と発言していた。本人曰くによると、「初対面でもタメ口が、仲良くなれるコツ」<ref>『読め!』より。</ref>。
 
浜田の頭は大御所や先輩、同期、相方しか叩くことは許されないとされ、「若手が頭を叩いた時はもう、とてつもなく恐ろしいことになる」と松本が証言している。しかし本人は「筋さえ通していれば何もしない(先に楽屋にあいさつに来れば怒らない)」と発言しており、特別にタブーがあるわけではない。実際に[[山崎邦正]]や[[ブラックマヨネーズ]]が浜田の頭を叩いたときは何も起こらなかったほか、泥酔した[[三村マサカズ]]に番組進行と関係なく叩かれたときも、頭を守って苦笑するのみだった。ちなみにその後三村は平謝りしたという。
 
テレビでの容赦のなさとは逆に、収録外では礼儀正しい対応を尽くしており、礼儀作法に厳しい[[オール阪神・巨人|オール巨人]]からも「浜田は礼儀正しい」と認められている。事実、収録中はいじり倒す番組出演スタッフにも深々と頭を下げており、先輩へ頭を下げる姿も画面から見切れる形ではあるが、映像に映る。「リンカーン」の「リンカーンわらしべ長者」では収録前、テレビ局でたまたま通りかかった先輩の[[笑福亭笑瓶]]に敬語でていねいにあいさつをした(カメラは既に回っていた)。が、本番に入ると同時に食堂にいた笑瓶に「おいコラ、そこのメガネ!」と詰め寄り、数分前とは正反対の豹変振りを見せた。その豹変振りに、浜田と長年の付き合いである笑瓶も、苦笑しつつも驚いた。
 
[[加賀まりこ]]や[[泉ピン子]]など[[毒舌]]を得意とする大御所クラスの女性芸能人の前では、さすがの浜田もツッコミが弱くなってしまうことが多い。もちろん、頭をはたくなどのツッコミは絶対にせず、笑いながらツッコミを入れるのが精一杯である。それゆえ、そのかたわらで松本の頭を叩くこともある。しかし『ガキの使い』の企画では加賀にゴミ袋を被せるなど体を張って笑いを取りに行くこともある。
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コンビ共にデビュー当時から特異な比喩表現を行うことが多かった。まだまだ無名当時に競演した[[関根勤]]が、大物俳優で現在のように誰からもいじられなかった[[中尾彬]]に対して浜田が「黙れ、ガマ親分!」と怒鳴ったのを見たことを引き合いに出し、「あんなすごい的確な表現をする(さらにそれを放送中に言う)人間が出てきたのに驚き、すぐダウンタウンのファンになった」と語っている。
 
今では誰しも、'''浜田に突っ込まれることをありがたく思ってきている'''が<ref>例えば元[[阪神タイガース]]の[[赤星憲広]]は、ダウンタウンDXに出演した際ツッコミとして2回頭を叩かれたことに対して、「今回、『浜田さんにツっこまれたい』という思いがあったので、たたかれた時は『来た!』と思いましたね。…(…(中略)…)…僕の周りの人間は本当にうらやましがると思いますよ。(大阪に)帰ったらいっぱい自慢しようと思っています」と[[『ザ・テレビジョン』]]のインタビューで発言している。
[http://news.walkerplus.com/2010/1014/23/ 『トークの出来は30点? 赤星憲広が「ダウンタウンDX」に初出演!』(2011年5月4日閲覧)]</ref>、これは『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』で、まだ売れる前だった[[シャ乱Q]]の[[つんく]]を叩いたところ、その後売れたことをつんくが提唱したからである。俗に言う'''「浜田に突っ込まれたタレントは売れる[[ジンクス]]」'''である。この傾向は今も続いており、「[[キングオブコント]]」ではダウンタウンと初共演の無名芸人が浜田に叩かれて喜んでいる他、「[[爆笑 大日本アカン警察|アカン警察]]」では[[渡辺麻友]]、[[北原里英]]などが浜田に頭を叩かれて痛がりながらも喜びの表情を見せている。
 
一時期はツッコミ用の小道具として[[ハリセン]]や[[メガホン]]が定番のアイテムであった。大阪時代から東京に進出した後の1992年頃までは、松本・ゲスト・観客に対してキレキャラで接し、どつくことを基本にしていた。しかし、一般に受け入れられるようになり始めた1993年頃から、意識的によく笑うことを新しい芸風にした。この転換は大成功で、その後のダウンタウンのイメージアップに貢献した。
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* [[ADブギ|AD・リターンズ]](1992年、TBS) 杉田巧 役
* [[十年愛]](1992年、TBS) 粟野嵐 役
* [[十年愛|十年愛スペシャル]](1993年、TBS) 粟野嵐 役
* [[もしも願いが叶うなら]](1994年、TBS) 毛利虎男 役
* [[パパはニュースキャスター|パパはニュースキャスター 帰ってきた鏡竜太郎スペシャル]](1994年、TBS) 亀山哲夫 役
* [[もしも願いが叶うなら|もしも願いが叶うならスペシャル]](1995年、TBS) 毛利虎男 役
* [[人生は上々だ]](1995年、TBS) 主演・内藤八郎 役(木村拓哉とのダブル主演)
* [[竜馬におまかせ!]](1996年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) 主演・[[坂本龍馬|坂本竜馬]] 役
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* [[Friends (テレビドラマ)|Friends]](2000年、TBS) 幸田順平 役
* [[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]](2001年、日本テレビ) 主演・浜田課長 役
* [[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさスペシャル]](2002年、日本テレビ) 主演・浜田課長 役
* [[Happy!#Happy!|Happy!]](2006年、TBS)
* [[Happy!#Happy!2|Happy!2〜私、先輩の為に頑張ります〜]](2006年、TBS)
* [[夢の見つけ方教えたる!#第1弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!]](2008年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) 主演・今村克彦役(本名の濵田雅功表記)
* [[ROOKIES]] 第1話(2008年、TBS) エキストラ出演
* [[夢の見つけ方教えたる!#第2弾|熱血教師スペシャル 夢の見つけ方教えたる!2]](2010年3月13日、フジテレビ) 主演・今村克彦役(本名の濵田雅功表記)
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、朝日放送・テレビ朝日) 主演・鬼島平八郎役(本名の濵田雅功表記)
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* [[日本コカ・コーラ]]「[[ジョージア_(缶コーヒー)|ジョージア]] ZOTTO」(1996年)
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]「JR Ski Ski」(1997年 - 1999年)
* [[サントリー]]「V.O」
**『[[ジャン・リュック・ゴダール|ゴダール]]編』(1998年3月 - )
**『パローレ篇』(1999年4月13日 - )