「安室奈美恵実母殺害事件」の版間の差分

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===3月17日===
復帰第2弾シングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日でもある同日は、朝の情報番組で解禁されたPVが取り上げられるなどしていた。
*午前10:40 
沖縄県大宜味村喜如嘉の横断歩道を横断中であった安室の実母と再婚相手の夫が、義理の弟の乗る車に3度轢かれた。義理の弟は車を降りナタのような物で襲い掛かって来た為、夫が近くに落ちていた鉄パイプで応戦、周辺住民や親族が集まりだしてパニックとなり、叔父は再び車に乗りその場を逃走。
*午前10:47
救急隊到着、実母意識不明心拍停止状態のまま病院へ搬送。
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搬送されていた実母の死亡を確認。
*午後0:20頃~
事実関係がはっきりしない状態でマスコミや関係者に第一報が届き、情報が錯綜し始める。事務所関係者も事実確認に必死で、この日午後2時からのイベントに参加するため会場入りしていた安室には、当初マネージャーを通し「お母さんが事故に遭ったらしい・・」と含みを持たせて伝えられた。安室は慌てて自身の姉の元に電話をするも繋がらず、確認が取れないことに焦りと苛立ちで落ち着かない様子だったという。
*午後1:10頃~
関係者から安室に事実がようやく知らされ、事件をき付け会場に殺到していたマスコミには主催者側からイベント中止を発表。事件が大きく取り上げられ始め、TVでも一報を生中継した。
*午後1:30頃
昼過ぎから所属事務所にも取材陣が殺到しており、急遽、事務所専務が応対。安室は全ての仕事をキャンセルし沖縄へ向かう用意をするが、航空チケットが修学旅行シーズンと重なりぐには入手困難だった。もしこの事件がなければ安室は20日に沖縄入りし、[[稲嶺惠一]]沖縄県知事(当時)を訪問する予定があった。
*午後1:45頃
捜査員が事件現場から5km離れた山中の農道で容疑者の車を発見、中にいた容疑者の叔父らしき人物を意識不明のまま病院へ搬送、車内からは殺虫剤の粉末などが見つかった。
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日刊スポーツ、スポーツ日本、スポーツ報知が都内銀座・有楽町などでこの事件に関する号外を配布。
*午後3:40頃 -
安室が夫のSAMと一緒に羽田空港に到着。しかしすぐに待ち構えていた150人以上とも言われるマスコミやカメラマン、さらに騒ぎを見て集まりだした野次馬に囲まれてしまったことにより前進は困難を極め、スタッフが必死に前を開ける様促すがそれも叶わず、安室を狙う者と守る者達の間で押し問答が繰り返される。そんな中、一人のカメラマンが安室の表情を撮ろうとかなり至近距離でレンズを向けた瞬間があったがSAMがそれを瞬時に払い除け、次々と迫り来る報道陣から安室を必死に守った。しかし憔悴しきった安室は足元もおぼつかなく、報道陣にもみくちゃにされ転倒、その後SAMに支えられながら搭乗手続きをしている際には声を上げて泣きじゃくっている様子が翌日の各局ニュースで連続して流された。また搭乗ゲートを通る際、安室は顔をうつむき加減に、時折頬に手を当てながらSAMとお互いの片手を握り締めて歩いた。そしてこれ以降報道陣の前では一切涙を見せなくなった。
*午後3:55
ようやく飛行機に搭乗するが、報道陣は同じ便の機内にも多数いた為、航空会社側が気持ちを配慮して機内アナウンスにて取材規制を促した。直接インタビューは無かったものの、小型カメラにより座席と着陸して降りるまでの一部始終がその後TVで放送されている。
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実母の棺が実家に到着。当初スタッフは再婚相手の夫が安室と会うのを遠慮してもらおうとしていたが、安室が家の前で悲しむ義父の姿をみるにみかねて家に招いたと言われている。
*午後6:00頃 -
仮通夜が始まる。事務所関係者談によると、安室は母を呆然と見つめ続けた後に大粒の涙を流し、そして白い布を手に持ち、姉と一緒にまだ母の顔に残る沢山たくさんの傷、そして薄く残る血の後を自分の頬を伝って母の顔にこぼれ落ちる涙で拭いていたという。
*午後7:15
安室とSAMが実家を後にする。
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===3月20日・告別式===
この日は午後2:00から告別式の予定があり、朝から沖縄市内の式場に沢山たくさんのマスコミや野次馬が門の外に詰め掛け時折生中継された。この日、元々出演予定だったとされる地元のオーデション番組には[[Kiroro]]が代わりに友情出演している。
*午後0:20
実家から会場に遺骨が到着する。
*午後0:40 -
安室とSAMを乗せた車が会場に到着。
*午後1:40 - 3:00まで
告別式が始まり、会場には芸能界からも事務所の後輩・先輩に留まらず仕事の共演者や大物芸能人から沢山たくさんの花輪が贈られた。外から中の様子は一切見えなかったが唯一代表撮影が許され、式終了と共に写真と状況が公開された。安室はSAMと向かい合わせに座り、ハンカチを握りしめ、時折遺影を眺めながらも無表情のまま悲しみをこらえ気丈に振舞い、逆に隣で終始涙する姉を気遣う様子も伺えたという。自分の名前を呼ばれた時は遺影の正面に立ち、母の前で約7秒間頭を下げた。そしてこの日、仕事の合間を縫って沖縄入りした小室哲哉も会場を訪れ、安室は小室の姿を見つけて深々と御辞儀した後一瞬だが顔をぬぐうような仕草を見せたとも言われる。小室は直後に報道陣からの囲み取材に応じ、彼女にエールを送った。安室とSAMは式が終わると足早に車に乗り込んでその場を去った。
*午後5:00頃 -
事件に巻き込まれた義父が市内のホテルで事件後初の公の場、そして約45分の会見を開き、その中で義父は安室やその兄弟に対して涙ながらに陳謝した。因みに、後日談でその後も義父は何度か週刊誌などの取材に答えており、それによると事件から1年も経たずして新しい妻との間に子をもうけ再婚し、数年後に離婚しているとのこと。そして実弟の子の一人が数年後に自ら命を絶ってしまったとも明かしている。
*午後7:30頃
東京に帰る為沖縄の空港へ。混雑を避けて通常とは違う空港の通用門を通って直接タラップから乗り込んだ。
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==その後の関連事項==
*事件発生直後から連日安室の事務所・ファンのホームページには沢山たくさんの人々から励ましの手紙・メールが送られた。また3月20日に放送された[[日本放送協会|NHK]]「[[ポップジャム]]」(収録は事件前)では、直前に発生していた実母殺害事件に配慮して、安室の出演部分をカットして放送されたが、[[TBSテレビ|TBS]]「[[うたばん]]」ではカットせずそのまま流し、画面上にテロップを表示するに留めた。
*3月25日
マスコミなどに事件後初のコメントFAX(関係各所に約2000通)。短い文章ながらも安室はこの中で「遺族・兄・姉とも話し合い、与えられた仕事を頑張ること、それが母の願いではないかと受け止めております。」(一部抜粋)と綴った。
*3月27日
事件の影響で休止していたアサヒ飲料「nice One」のCMがようやく解禁される。
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==後日談==
事件以降、安室は自分からこの件に関して触れることは一切無いが、時折雑誌のインタビューなどで少し答えている。
*991999年の雑誌では最近のマスコミのプライバシーを省みない行動をどう思うかの質問に対して安室は「参りましたねぇ~あれには。マスコミが嫌いになりそうでしたよ()、私の何にそんなに興味があるの?って…(一部抜粋)でも、今は大丈夫。…一人で悩んでいたら、結構耐え切れないものがあった。子供の笑顔には救われる時がある。(省略)」と語っている。
*数年後のアメリカの雑誌取材で安室はあの時のことについて「母の死は私を地獄へ突き落とした。もう何もできなかった。けど、ずっとそうもしていられなかった…私も一人の母親として息子のために頑張らなきゃいけない。それが生きがい。」(翻訳参考)と少し踏み込んで語った。
*062006年に行われたライヴのパンフレットの最後のページに唯一英文で「私が心から望んでいたこと、それはあなたとデビュー15周年を一緒に迎えること、そして記念すべきステージでの喜びを一緒に味わうことでした。お母さんに届くことを祈りながら歌います。母に愛を込めて安らかに眠れR,I,P」と母に向けたメッセージが綴られている。
*082008年雑誌インタビューでも安室は「母のことがあってからずっと辛かった。もう歌うことも「安室奈美恵」でいることもやめたいと思った。でも、今がどん底でもうこれ以上落ちることは無い…そう考えると少しづつ楽になっていった。」(抜粋)と語っている。
 
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