「一霊四魂」の版間の差分

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:4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強いといえる。
 
しかし、中世以前の古文献を調べて見れば分かるように、四魂を同時に併記した文献は、今のところ見当たらない。
 
たとえば、荒魂(あらみたま)に対する、和魂(にぎみたま)であり、幸魂(さちみたま)に対する、奇魂(くしみたま)のように、四魂は、2群2対で記述され、四魂が同時併記されていない。
 
このことをどのようにとらえればよいのであろうか?
 
おそらく、一霊はすなわち四魂と解するのではなく、一霊二群二魂と解釈したほうが、霊魂学の解釈で実際に即した整合性のある解釈が成り立つのではないだろうか。
 
また、古代人が直感、感性で把握した考えは、非現実的なものではなく、実体をともなった存在であることが、科学の発達とともに、明らかにされる場合も多い。
 
たとえば、一霊四魂(一霊二群二魂)を現代科学に当てはめて解釈すると、
 
意識面での解釈
 
顕在意識 - 荒魂(あらみたま)
 
表面にあら(荒→顕)われた意識
 
潜在意識 - 和魂(にぎみたま)
 
心の内面に、渾然と溶けるような意識
たとえば、【ニギ】の語源には、
にぎやか【賑やか】賑々しい 賑わしい 込み合う 繁華 殷賑(いんしん)〈を極める〉 雑踏 混雑 
にぎる【握る】などの意味がある。
 
右脳左脳理論での解釈
 
左脳 - 幸魂(さちみたま)(さきみたまとも呼ばれる)
 
つまり、【さき】→【さく】(割く、裂く) 物事を分別、分析して、把握する働きと考えられる。
 
右脳 - 奇魂(くしみたま)
 
【くし】は、串、櫛というように、本来別々に存在し、無関係に見えたものを、一つに結びつけ、新しいものを創造するような、いわば芸術的な感性の働きをする脳の働きと考えることもできる。
 
以上、このように考えると、一霊四魂(一霊二群二魂)を直観力で把握し、現代の科学的理論の吟味にも充分耐えうる実存的概念の存在を提起した古代人の知恵には驚嘆せざるを得ないであろう。
以上、ご感想をお待ちしています。
 
ウイキペディアのページにある、一霊四魂(いちれいしこん)の解説は、ほとんどが大本教学による、道徳的な解釈と思われますが、古代日本人が、近代的な道徳解釈をするのは不自然だと思いました。
むしろ、古代人は目には見えないが、たしかに存在するその実体を、直感的に把握したと考えるのがむしろ妥当だと思います。
 
== 参考文献 ==